1月29日

ポリーニの清冽なショパンを聞いているうちに、心が晴れやかな気分になってきて、この3年間の絶望から抜けられそうな展望が見えてきて、大変うれしい。20年やってきたことの頂点から突き落とされたなら立ち直るのに3年くらいかかってもしょうがない。このいい塩梅の頃合いにポリーニに会えてよかった。

発想を転換すれば私は絶望していないということになるのである。とりあえず、しっかり博士論文を書こうという気に本気でなれそうな気がする。

つまりはこの社会をなんとかしようなどと大それたことを考えず、しかしそのことがそれを求めてこれまで来た自分の人生を否定することでもなく、自分のできることに向かって、たんたんと精一杯生きようと思えば、眠ることでしか逃れらない生きることの痛みから解放される。それは切ってしまった部位を痛がっていたようなものだった。

こんな簡単なことに3年もかかった。大学院に行ってもスウェーデンに留学しても、何をしてもわからなかった。

切ってしまった臓器が私にはあまりに大切だったから。
それ無しに自分がないように思っていた。心臓を抉り取られた気がしていた。でも考えたら盲腸を切り取っただけだ。私は私で何も変わらない。これまで闘ってきたことも、積み上げてきたこともそれで否定されることではなかった。

女子大時代の友達に自分の絶望物語の一部を2時間半くらい聞かせた。彼女は私のがんばり方に驚き不運に同情し、何とか私を励まそうと試みたが最後にはさじを投げた。もともと病気のせいにして仕事もせず、家事は私が見ても尊敬できる彼女の夫に何から何までさせ、彼の家柄が悪い、頭が悪い、子供がかわいそうなどととんでもない事を言いながら反体制派ぶってるお姫様の彼女に私を励ませるわけがない(て私も似たようなものかなあ)。でも改めて彼女を驚かせたその絶望の強固さに我ながら驚いた。私はこの3年間自分の20年を振り返る作業を毎日して、今いる絶望状態を必然として確認してきた。誰にも壊せないくらいのできあがった物語になっているのも当然だ。しかも20年分と長いのでめったに全貌を聞くことは出来ない。

その一部を聞いてもらえて、でも私を励まして友達振りを発揮したがってる友人を結局がっかりさせるほど「絶望のプロ」になっている自分を客観的に見たら、なんだか少し可笑しくなった。なんだか架空の物語なのかもしれないって人事のように考えてみたら、自分のこだわっていたことが何か、それに私にとってこれまで大きな意味があったけど実は今はもう意味がないことがわかった。もう捨ててしまってもいいこだわりだった。

彼女は私をぜんぜん励ませなくて、あきれて電話を切った。でも人をあきれさせてわかったりすることもあるんだな。彼女に何も期待してなかったから、聞かれるままに話していただけだったから、かえってよかったのだろう。邪悪な友人だが、感謝しよう。

苦しかった。でも時間薬が必要だったのだと思う。しっかり勉強しよう。

私自身の病気が治れば、つまり生きる気力さえ出来れば、何だって何とかなることだ。この3年は私にとっては本当に無為だったが、私の気持ちを知らない人は羨望さえしてくれるのだったから。

オセロの隅さえ取れればこれまでの全部をひっくり返すことは出来る。
ようやくその端緒につけた。
出来るかどうかは、誰にもわからないけど、私が苦しかったのは、社会に出たくないということなので、とにかく失敗者になっても社会復帰は出来るはずだ。失業者ではなく求職者になれる(実態は同じでも)。

***********

日本の社会に順応していれば、私はたぶんほどほどの成功者かも。

自分で言うのもなんだが、横浜にボルボの入った地下車庫2つつき一戸建ては、子育てしながら正規職を続けた私の甲斐性だと思っている。子どもは二人とも出来すぎずひねくれず、ほどほど良い子だ。単なる幸運だけど。いずれも望んで手に入ったものではないけれど。

この社会で必要なのは順応する努力だけ。

高校出でも男性ならたくさん働けば十分もらえる日本のかつての労働慣行の中で、私が無理して働かず、専業主婦をやってやりくりして、子供と夫のためだけに生きていれば、家計管理能力のない男のかわりにせっせと節約貯金すれば。

あるいは450万の正規職を、終身雇用の慣行のうちただ安寧にうまく要領よく続けることだけを考えれば。

絶望することも、入「院」することもなかった。でもそんな人生だったらそれは「私」じゃない。それはどう考えてもそう。

子供の父親の収入は1000万円を超えている。だから苦しくても学費に困るわけがないのだ。

住宅ローン4000万とサラ金から用途不明金400万。

40になったとき離婚をお願いしてから、彼はどっかくるってしまったと思う。私は最初から結婚したくなかった(結婚制度に反対)から当然だと思っていたのにちょっと意外だった。

家を売った1000万以上のお金も、利子が高くなる頃に、一括返済しようと口座に置いておいたのに(浅知恵)彼に渡したらいつの間にか消えてしまった。一生懸命働いては借金を増やす毎日を送っているようで、家には帰ってこない。広い邸宅に息子と二人暮らしだ。借金に追われて彼は生活に必要なことに出費が回らない異常な状態。学費の納入が遅れて、私はやきもきし、絶望的な気分になる。

国民金融公庫の1.82%の教育ローンは今のままでは父親の収入が高すぎて受けられず、私は奨学金生活者で無収入でローンの審査が通らない。

スウェーデンにいるときの私の口座から100万近く黙って引き出していて、私に払うお金がない(あとは娘の学資保険の前借だけ)。

絵に書いたようなサラ金地獄をなんとかした方がいいと親身にアドバイスするも聞く耳なし。勝手に転落すればいい、と思ったが、法定外の高利を払って子どもの学費も払わないんじゃ、放置も出来ないかもしれない。

それにしても、無制限に簡単に誰にでも貸すサラ金システムは、「想定外」だった。もちろんそんなことで身を持ち崩すような人格も、「想定外」だが。

GDPは膨れ上がっても借金大国、の日本の国の状況を見るよ
う。

家計能力のない男にたくさん賃金をやるシステムはやめよう。ざるになるだけである。借金男に1000万もやる社会はおかしい。その男の金を当てにしなければ、こどもが学校へも行けないような社会は変だ。私は夫の賃金を引き下げて、自分と同じくらいにしたくて、家事を押し付けて仕事の邪魔をし、労働運動したけど、格差は縮まらなかった。2人で900万なら十分だと思う。

みんなに等分に能力に応じて、少なくてもいいから配分するシステムにしなければならない。1000万の人も、100万の人もいない世界がいい。誰でもしっかりほどほどに働けば300万くらいは稼げる社会でいい。

誰も冷え冷えの邸宅に住みたくない。空っぽの家庭の入れ物。彼が私と同じくらい貧しかったら、こんなものは買わなかったのに。

消費としての映画鑑賞の居心地の悪さ

ホテル・ルワンダを見た。1時間前に行ったのに、立ち見なんで、その次のにした。今日はどの上映時間もほぼ満員だった。
見に来ている人はいろいろな人だった。世代も性別も。後ろの席の人たちは協力隊かなんか関係の人みたいだった。

ツチ族フツ族の間の虐殺の話は多分99年くらいにすでに知っていたと思う。一緒に遺伝子組み換えの学習会をやっていた同僚Yくんが、NHKの海外ドキュメンタリーでやっていた話をしてくれたのだ。ラジオでアジテーションされて憎悪をかきたてられたという話だったが、今もナチスと同様のことが起こっているこの惨劇を、正直、どうしていいのかわからなかった。アフリカは今も大変。もちろんヨーロッパの過酷な植民地支配と、今も腐敗した関係が彼らを悲惨な状況から抜け出させないことは確かなことなのだ。しかし、日本にいる私がそれをどうしたらいいのかはわからなくて、困惑したままにしていた。

だからこの話は知っていた。Y君とのこととともに印象に残っている。

この2004年にできた映画はとてもよく出来ている。

主人公は、芝生のある家に住む、4つ星サベナ系(ベルギーにサベナ航空ってあるから、すごい大手だ)ホテルの支配人。黒人で支配人になるのは異例のこと。というか、彼は、妻が看護士だった時、一目で気に入って、健康省の役人にフォルクスワーゲンを賄賂に送って、首都のキガリに彼女を異動させたという、そういう有能さでもって、政府軍の将軍や、民兵組織の親玉なんかともいい関係を作っているやり手だ。多分アフリカで不可欠な有能さなのだろう。

「アフリカ版シンドラーのリスト」といわれてるらしいが、この辺がシンドラー(見てないけどすごいやり手なんでしょ彼も)みたいなのかな。

主役の俳優は好感度が高いが、当の実在する本人は、プログラムを見ると、将軍に配役してもよさそうなマッチョな感じの人で、今はベルギーに住んでるそうだ・・・。

100日で100万人が殺された大虐殺。ナタで無残に。このナタが映画の最初に、主人公が民兵組織の親玉と取引するときに誤って、箱から大量に出てきて、ドキッとさせる。中国製で10セントを50セントで売って大もうけする、というのだ(伏線ね)。

和平ブームが一転、大統領が殺され、混乱の中、このナタで住民が殺されるシーンを撮ったジャーナリスト映像を見て、主人公は衝撃を受けるが、これが放映されれば世界が助けてくれる、と希望をつなぐ。しかし白人ジャーナリストは首を振る。「見た人は、ひどいね、といってまたディナーに戻る」

ベルギーの国連軍がやってきてみんな大喜びするが、彼らは在留外国人だけを救うためにきたのだ。奴らはゴミだ、と彼らは駐留する国連平和維持軍の大佐に言う。そして白人だけをバスに乗せて去る。

本当にそのとおりだ。私たちは「悲惨ね」といって食事に戻る以外どうすることが出来るのか?毎日テレビでは人が死んでいる。同じ国の中で殺し合いをする人たちになにができるのか?アフリカってあいかわらずね、どうして仲間同士団結できないの?敵は別にいるでしょう、て思うくらいが関の山だ。

自国民同士の殺し合いに巻き込まれて、よその国の人は誰も命を落としたくはないだろう。
たとえば可能だったとしても国連軍として、あの虐殺の中に自分が行くことは考えられない。

99年に知ったときとそれは変わらない。

私たちに何が出来るのか、わからない。

この上映のために署名を集めた若者たちは、この映画を見てどうしようというのだろう。
純粋に不思議になった。

主人公ポールは家族を守った。でも家族愛は延長された自己愛だ。利己的な行為が、利他を生むことはある。でも殺された100万の人たちは?賄賂を贈る財力も機転もない人たちは?

好演した主演のアフリカ系アメリカ人俳優は、ハリウッドでギャラが何倍にもなることだろう。監督は名声を得る。

涙する私たちは、カタルシスを得る。それで?

赤十字の白人女性アーチャーさんのように孤児たちを助けに行くべきなのか?
何が原因で、どうしたらこういう世界がなくなるのか、が、ない中で、命を懸けた小さな善意は、尊いけれども、結局のところ、白人の免罪符でしかないのではないのか?

私はこの世界の中で、自分のいる場所に当惑する。
ああ、面白かった、といって映画館を出て帰る場所があることに。
知ることがまず大切だと?知ってどうする?わからない。

いつもそうだ。残留孤児を扱い中国ロケをした「大地の子」のテレビドラマはすばらしく、上川隆也は、有名俳優になったけど、日本に来た残留孤児の惨状はすさまじく、国を訴える集団裁判にまでなっている。テレビドラマの主人公の運命に涙を流す私たちは、困っている言葉のわからない同胞の隣人に何もしてあげない。

宗主国ベルギーは、実在の主人公ポールを受け入れてくれる。私のホストマザーのように、生活の世話までしてくれる親切なベルギー人がいることは知っている。去年の8月にはそんな政治亡命をしてきたイラン人ともつきあった。でもこういうアフリカにしてしまったことへの謝罪や償いはしているのか?彼らの富は、アフリカを強奪することによって成り立っていることへの罪の意識はあるのか?

せめて私たちが出来ることを考えたら、第2次大戦のときの隣国への侵略への謝罪と補償をちゃんとして見せることで、ヨーロッパに、真摯にアフリカに謝罪し、奪った富を返還することを迫ることくらいかと思う。

だって、こんなにぐちゃぐちゃにした責任取らないのはひどすぎるだろう。
元には戻せないけど、戻せるくらいに応分に過去の強奪を償うべきなのは「人として」当たり前なのではないか?ヒューマニズムの輸出の前に。

ユーゴスラビアの民族間の虐殺劇もそうだが、いったい第3者の私たちに何が出来るのか、わからない。おぞましい同時代に起こっていることからどういう教訓を得ていいのかもわからない。

この話をしてくれたY君のことを同時に思い出して、ますます複雑になる。一緒にやった遺伝子組み換えは、彼の仕事になって順調に出世した。彼は忠実な役つきになって私は彼と決別した。今も彼にとって私はなんだったんだろうとよく思う。

苦い思いをどうしようもない。

現実の悲劇さえも感動的な物語に変換するこの構造は更なる搾取なのではないかと気が重い。



追記

このホテルの従業員は主人公の演説もあって最後まで仕事を遂行するのだが、彼らの家族はどうなのか、すごく気になった。こんなことしてる場合じゃないだろう。みんなツチ族の身内がいたりしないのか?小田実が、震災後の自治体職員の仕事を批判する文章を読んで、自治体職員である前に、同じ被災者じゃないのか?と突っ込みたくなったことを思い出す。

一人の人間像を描くときに、さまざまな主人公以外の人のドラマが捨象されるのは、その手法の弊害のひとつだなあと思う(ご都合主義な感じがする)。

この映画を職業倫理を描いたものとする町山智浩さんの批評は、それ自身の提起は面白く、波紋を呼んでいる(資本主義の倫理性、みたいなことにまで)。が当たっていないと思う。なぜなら、本人の良心の前にしか、それはないから。つまり、職業倫理は、別物として確立されているものではなく、個々の良心で作り上げられるものだ、という以外ここで提起されることは実はない。材料にはなるかもだが。

たとえば、国連平和維持軍はpeace keeping で、makingではないから介入しないと、大佐が述べたのも正しい職業倫理だ。本当は銃で撃ってはいけないのに、暴徒に囲まれたとき撃ったのはどうなのか(裁判にかけられることかもしれないよくわからないが)。観客としては、ああどんどん撃ってくれそうしないと家族が死ぬ、と思ったけどこれは危険な誘導かもしれない。あのホテルの最高責任者としての任務を全うすることで人々を助けたとするなら、命令を受けただけのベルギー軍がさっさと撤退することも全く正しいことになる(もしあそこで惨状を見て個人の意思で介入し始めたら?)。

この世の中のすべてのものと同様、私は職業倫理も可塑的なものだと思う。だからこそ逆にどう使うかが本人たちに問われているわけで、この問題は、実生活で私がもっともこだわってきたテーマなのだが、この映画の主題ではないと思う。

彼は生き残るために持っているすべてを使ったのだ。あらぬ嘘をホテルマンという職業で政府軍の将軍に信じ込ませ翻弄させることも含めて。逃げられるときに家族と一緒にトラックに乗らず、ホテルに残るのは私は当然だと思った。私も彼なら残るだろう。あそこで最高責任者が従業員と避難民残して家族と一緒に逃げるって選択はありえない。


私が今も印象に残る職業倫理を描いた映画は、タイタニックだ。もう助からないとわかっても、最後まで石炭をくべる船員や、音楽を奏でながら沈んでいった音楽家たちのことは今も思い出す。じたばたと一般観客のように取り乱さず、自暴自棄にもならず無駄ではあっても淡々と最後まで任務を全うする姿は崇高だった。

でも今だったら、家族に携帯電話かけまくるんだろうな・・・。それも自然なことだ。

映画ザ・コーポレーション上映館アップリンク

ザ・コーポレーション(原作asin:4152086041)を上映しているという場所 アップリンク・ファクトリーが面白い。この主宰者の浅井隆さんという人がなかなかユニークである。映画を提供するのみならず、この映画の最後のマイケル・ムーアの問いかけに何とか応えようとする姿勢がなんとも好ましい。
映画としては、ちょっと私の体調がよくなかったせいもあり、2時間25分は大変長く、またマイケル・ムーアの映画と比べれば、人の話が延々続き、カメラワーク自身にはあまり工夫がなく結構飽きさせる。情報量が多すぎ、うまく整理されているとは思えない感じだった。知ってる人には知っている話だし、初めての人にはあまりわかりやすい構成ではない。情報が断片的でその問題自身を深めた感じがしない。
つまりは企業が悪だということを言うための手段になっているけど悪なのは私にとっては当たり前なんで、いまさら、なかんじでもあるのだ。むしろ、一つ一つの問題を突き詰める中で、深い暗示をするほうが印象深かったのではないかと思う。素材が雑に扱われている印象があった。
日本では公害とかがあって、企業はもともと悪いもんだって言うのがあるけど逆に欧米にはそんなにないのかな(いや、そんなことはないだろう)。もちろん悪いもんだからしょうがないんだって言う理論で何もそこで変革せずに、その悪い企業に入って悪いことするのをお金や安定のため受け入れてる私たちではあるけれど。
だから、どうしたらいいのよ、ていうことのほうがむしろ大切なんだよなあ。そこがなかったな。アクションをおこせったって何したらいい?ていうかんじ。私たち市民じゃないから。企業人で丸まる人生生きているから。
選挙の前にこの映画やればまだ意味はあったように思える。民営化の民は民衆じゃなくて私企業なんだよていうこと、日本人に思い出させなきゃいけなかった。
アスベスト地震強度偽装も、そういうところからでていて、そういう企業の論理に国民全体が丸め込まれ、政治も行政も、その延長になっていて無力どころか加担してるってことなんだが、いったい日本人の誰が、仕事の場にいてそれに逆らって良心で行動できるって言うんだろう。自信のある人手を上げてほしいよ。あんな事件は当たり前に思える。
それでも、ボリビアの実際の映像や、ナチスアメリカの企業がすごく協力した話、フォックスが83回も批判的番組を直させた話など、またマイケル・ムーアの、自分の映画は大手企業の配給だ、企業は儲かるなら自分の首を絞める縄でも作る、自分はずっとその縄でいたいっていう話、その他ニームの木の話などなかなか情報としては有益なものも多いので、見て損はしない。
神野直彦東京大学 財政学)さんが、先日面白い話をしていた。世界初の株式会社は、東インド会社だそうだ。株式会社とは、有限責任という意味。そのこと自身が大きな特権である。だからアメリカでは株式会社を長く認めなかったそうだ。ボストン茶事件のころは毎年申請して許可しなければならなかった。しかし、南北戦争の時、戦争の利益で、モルガンやロックフェラーなど大きな会社ができて後、賄賂でリンカーンの後の酔っ払い大統領グラントに株式会社を認めさせたという。その次の大統領ハミルトンは、「法人の法人による法人のための政治」といっていたそうだ。
それ以来株式会社は、大きくなり続ける。
もともと税システムは戦費調達のためにできたらしいのだが、戦争を引き起こす国家にはどんな貧乏でも金持ちでも同じ一票の選挙権という規制がある。しかし会社にはそういう民主的な仕組みが全然ない(そういえば映画では悪徳経済学者ミルトン・フリードマンが民主主義など企業と関係ない、と相変わらずの悪党ぶりで嘯いていた)。
国家の基本は、土地と労働力と資本が同じ場所にいることが前提であったけど、資本が、国境を自由にいききするようになり、国家の中の政策が何も機能しなくなった。でもそもそも東インド会社が最初の株式会社なら、お里が知れるというものだ・・・。
それはともあれ、長い映画の後のトークショーの意図は、この実態を知って何ができるかというきわめて端的な問題意識のもとにあった。みどりのテーブルという政治の世界への働きかけをしようというグループを呼んだ意味も、この現状の中で何をどうしようとするのかを聞こうということだった。そして呼ばれた代表の元CHANCE!の小林一朗氏も、科学ジャーナリストとして、企業の社会的責任にかかわってきたことから、自分に適したテーマだと思ったはずである。が、話はこれ以上ないほどにすれ違って凄惨を呈した。
浅井さんは自分の問題意識にあくまでも忠実で、お、これはもくろみと違う、と思って、急遽別の路線に変えて、彼のもっているものを引き出してこの場をしのごうという取り繕いを全くしない人だったので、出だしからこのすれ違いははっきりしてしまった。
話者も聞き手の意図を汲んで、用意した話を急遽変更しようとしなかった(できなかった)。要は変更できる中身がないということでもあるのだが、このことについては妥協なく猛省すべきであろう。
内情をなんとなく知っている私は、同情しないわけでもないが、こんなんでは選挙にも政治にもかかわれない、という認識は持ってもらわなければならない。たとい中身がなくても、開き直って、まだまだグループは未熟で、これからなんです、ぜひ皆さんの知恵や力を貸してください、とかだって言えた筈だ。そして中身がなくとも、その熱意から共感する人もでたはずだ。政治家にとっては結構こういう技術がどんな仕事より圧倒的に必要なんだと思う。
ベーシック・インカムについてや、地方の雇用対策のことなど言いたいことは私にはよくわかるけれども、みんなが聞きたいのは、そういうことじゃなかった、それを察知できないって言うことは致命的だった。しかも呼んだ側はどんなに自分のグループの宣伝してもらってもかまわない、じゃんじゃんしてくださいという政治をしようという人にとってはうってつけの条件だったのだから。
それにしても、とても多くの人が残っていた。映画館はほぼ満員で80人近くの人がほとんど帰らなくてトークショーを聞こうとしていた。聞き手が言うようにこれは新しい政治勢力への期待の大きさを物語っているように思う。この事実自身は少なくともこの国の数少ない小さな希望だ。この期待に応えられないで失望を生むとしたら、その責任は大きいといわなければならないけれども。
むしろみんなが何を求めているのか、残った人たちにいろいろ意見を聞ける場になったらよかったかもしれないな。あの映画を観ようと集まり、見終わった後に、何かを期待する人たちだったのだから。今のひどい日本の中では、それだけでもかなり大きな希望だと思える。そのあつまった人でこれをきっかけに党を作ったっていいくらいだ。今度はそんな企画をしてみてはどうか。
映画という枠組みを超えて、行動を志向するアップリンク・ファクトリーの意欲的な試みに敬意を表すとともに、今後も期待したいと思う。

27歳の私を超えられずますます途方に暮れるの図

日本からお味噌と一緒に本が届き、日本語ばかり読んでいる。本当に何しにきているのだか(ムム)。

シューマッハはよいね、「スモール・イズ・ビューティフル」遅まきながら。1973年の本を読んでも、まだ新しいのは、何も時代が進んでないせいなのか・・・。上野千鶴子の80年代の本はもう古くなっているのに。

ところで日本から持ってきていた「マルクス」という本をちゃんと読んだ。これは花崎さんや森田桐郎、あと今レギュラシオンをやってるはず(?ちがうかな)の山田鋭夫氏などが書いているので、ほおと思って、図書館の本コピーしてきたのだが、面白かった。(1982年有斐閣

ようやくマルクス主義の全貌?の片鱗がわかった。私は昔からマルクスのことを知らないのにマルクス主義者だと思ってた。そういう系の結社?などにも別に深く関わったことはないのだが、文学部だった大学の城塚登(経哲草稿の訳者だとだいぶあとになって知った)さんの社会思想史の講義で、共感したのだ。
「労働とは本来自己表現である」、ていうのと「下部構造が上部構造を規定する」、て言う言葉だけでファンになっていた(単純)。

そのあと何一つマルクスの文献を読んだことがない。
大学院で「資本論」の授業をとって、初めて彼の著作を読んだが、第一章の「商品」で終わっちゃったから何もわからなかった。自分で読めよ、の世界だが、私はリブだから理論派じゃなくて感覚派だったんだ。
フェミで自分の人生を方ってほしくないと本を出した人と正反対で、私にとってフェミは、自分のしてきたことや体験が、全部フェミで解けるのを確認する快感だし、だから読むのだし、書くのは所詮全部フェミどおりだと言うためのものでさえある。
男の論理はいつも間違うから、女の直感の論理化を私は信じているのだ。リブは全共闘運動の男の論理の否定から生まれたものだしね。否定された方にそんなに関心はないのだ。
勉強(だけ)してる人はよく間違う、と思っている。
特にマルクス主義者を自称する人に大間違いが多いのはよく知っている。
ただ面倒だっただけなんだが。もともと勉強嫌いなんだわ。

ともかくそんなことで、将来怠け者の癖に働くこと(=労働者になること)への過剰な思い入れがあったな。
(だから「働く/働かないフェミニズム」なんだけど)
でももちろん闘うぞ、おー、みたいなのは全然関係なくて、それってたいして効果もない(効果あればやるべき)と思ってた。
(管制塔、とかの時代には、私は「ああいうことして子どもを使って金をもらおうとしている」と、TV報道の三里塚闘争を評する親の元にいたのだ。)
じわじわと自分の場所から変えていくこと、だとおもっていた。
自分の働く場所を自己表現にすることが闘うことだし、それでもそれをうまく資本の側に持ってかれがちな日本の文脈も知っていた。
がんばっても資本家に奉仕するのはやだから協同組合に就職した。
資本の論理の中では、結構無力なのもわかってたからかもしれない。
それでもその協同組合が疎外体になりがちなのも最初からわかっていた。
社会主義革命はどこも成功どころか、より過酷な政治体制としか成り立ってないのは、当時誰が見たって明らかだったから。
「きれいごと」が、より深い疎外を生むことなんかまったく自明だった。
何より、傍からみていても運動自身が抑圧的だったりすることもよく知っていたし、反体制の論理が、少数派を抑圧することもわかっていたし、その少数派への反省がかえって、過剰な自己否定のなかで歪んだ倒錯を生むことも見えていた。
それらはすべて明らかな「時代」だった。80年代初頭って言うのはね。
だからどこに行っても一緒だった。


とりあえず下部構造だぜい、そりゃ主婦の運動が楽しいのは知ってるけどさ、フェミを通ったらそこへはいけないもんな。回りまわって資本に間接的に従属した上での運動だってことが、「不幸なことに」見えてたし。
でも女たちのしなやかさは身近に感じていたかった。仕事してる女がそれを持ち続けるのは難しいのだ。
職場状況が過酷だから。
主婦は男のスタイルに染まらずに「女の文化財を保護する存在」でありえるのは事実だ(男スタイルに染まってる主婦もいっぱいいるのもわかってるけど)。

しかしもっと早く読めばよかった。だいたい私が思ってることと同じだったし、もっとはっきり書いてあった。
雇用者がマルクス主義者だったんだから、労働組合時代、これを武器に闘うべきだった。
もっと闘えたと思う。
住宅手当を要求して、賃金交渉したとき、手当てではなく基本給をあげるべきだし、君らは100円を積み上げるようなそういう交渉をして、情けなくないのか、と船木さんに言われたことは今も忘れない。
彼らは当然そういう労働運動を実際してきて、つくづく意味がないと思った人たちだったのだ。
地域社会を取り込む東急資本に対抗して、鉄道の労働運動をしても市民の支持は得られない、資本に包括されない市民社会を、陣地戦として作ろうとしたのが生活クラブ(神奈川)だったのだ。
優れた戦略だと思う。
それでもその中で労働運動や組合が絶対的に必要なのを私たちはきちんと提起しなければならなかった。
それが創設者として参加できなかった「遅れてきた青年」である私たちの「革命の季節」後に生まれたものの
課せられた闘争の課題だったのだ・・・。

こんな風にもいえるかも。生活クラブを(その後崩壊してしまう)社会主義国ではなく、スウェーデン型にしたかった、と。
このスウェーデンではマルクスの名前を聞くことはまずない。
誰もマルクスのことなど語らないが、マルクスのいったことは社会がクリアしてる、みたいな感じ(革命以外は)。
資本主義の中でいかにそれを可能にするかに挑戦して、やりのけてるので、不要になってマルクス主義は必然的に消滅してるという気がする。(ただし本源的蓄積については今後まだ見る必要あり。)

山田さんいわく

剰余労働時間の深層に形成される自由時間を諸個人が自らのものとすることは、「より高度な生産形態」にとって必須の課題であろう、と。

「労働日の短縮は根本的条件である。」(資本論より)

・・自由時間は労働時間に反作用して、労働(必然)の領域における人間と自然との社会的物質代謝を合理的にコントロールする能力を培う場となる。

自由時間を取り戻したとしても、その自由時間をふたたび疎外させることなく真にその時間の主人公となりうるためには、・・・労働における自治・自由としての個体的所有の再建もまた、根本的条件なのである。労働からの自由は労働における自由の基礎の上にのみ、逆に労働における自由は労働からの自由に保証されてのみ、真実のものとなる。「労働日の短縮」と「個体的所有の再建」を同時にわがものとすること、−−これが蓄積の歴史的傾向の論理をとおして、『資本論』が人類の「前史の最後の段階」からその「本史」へとかける架け橋である。


この82年の山田さんの言説を持ち出して、団交に望むべきだったか・・・もしれない。

それでも私はなんて的確だったんだろう。同じことを言っていたとやっぱり思う。同じ空気を吸っていたから。

1988年私が27歳のときの労働組合設立のためのチラシの草稿。
気恥ずかしい表現だが、ほぼこのまま組合結成チラシになった。
こんな言葉では何も動かなかったのだけれども・・。

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働く人にとって生活クラブってなんだろうって考えたら労働組合ができた

いまどき労働組合なんて、ですって?!とんでもない。
 だって今ほど働くことが問われている時ってないと思います。敗戦からしゃにむに働いてきた日本人。男は24時間体制で馬車馬のようなモーレツ社員、女は銃後のように家庭を一手に引き受け内職、パートで内助の功。そんな役割分業の中で西独に比べて2ヶ月も余分に働いて豊かになったと言われる日本。誰がいったい豊かになったのか、私たちには何の実感もありません。家庭の中では父の居場所はなく、くれない族の妻の子への過干渉は子どもたちを歪め、働きつくした夫は定年で会社に捨てられ、家では粗大ごみと成り果てる。こうしてたくさんの代償を払った末に、実感のない豊かさの中、貿易摩擦に働き中毒への非難。いったい何をしてきたのか。そんなのおかしい、と生活クラブに入ってきた。私たちも気がつけば同じ働き方をしてしまっている。お国のために、をやめて、会社のために。会社のために、をやめて、生活クラブのために。この辺で滅私奉公をやめたい。だって私は生活者でありたいし、人間らしく生きたいのだもの。そして人間らしく働きたい。
  だって私だって消費材(注:生活クラブで扱う食品)を使いたい―でも忙しすぎる。   私だって結婚しても働きたい。
  私だって恋人と映画を見に行きたい
  私だって生きていると言う実感のある仕事をしたい。
 それはモノとり主義とはちょっと違う。カネよこせ、さぼらせろ、そんな了見とはちょっと違う。 私の1日24時間、1/3の8時間は労働だけどあとの時間は私のもの。自由に心豊かに過ごせる余裕が欲しい。そしてその8時間の労働も充実した仕事をしたい。 これはぜいたくでもなんでもない、人間の本当の望むところだと思うのです。ひとりひとりがそんなふうに生きられるようにするために、生活クラブもあるのだと思っているのですが・・・。 「何か」のために自分を犠牲にしてしまうことはもうしたくない、それはきっとその「何か」にとってもよくないことに違いない。  だから今、労働組合
 でもこれは私たち一人一人が作っていくことで与えられるものではない。ものわかりのいい経営者を期待するのは、自分で作っていくことの怠慢だと思います。
 経営する人に働く者のことを、働くもの自身が黙っていて、考えろと言うのは虫が良すぎる。考えてくれないからとあきらめてだまって従うと言うのでは、主体性がなさすぎる。働く人が人間らしく生きられる現実をつくっていくことこそが運動の内実をつくっていくことをわかってもらえるようねばりづよく主張できる場が私たちには必要なんです。働く人にとっての生活クラブを作るために。
                         だから今、労働組合
 でも私たちは労働は、少ないほどよい、お金がたくさんもらえればよい、とは考えていません(考えていたら生活クラブなんて就職しませんものね)。
 何のために自分が働くのか、自分の能力を発揮するにはどうしたらよいか、自分を成長させる働き方をしたい。自分の労働が少しでも世の中をよくできたら。自分で手ごたえを感じたい。つらくてもたのしく仕事をしたい。自分のしていることをよく理解したい。納得できる働き方をしたい。 私達は労働を単に賃金を得るための苦役とは考えていません。労働以外の場での自己保存、自己実現、自立のために現在の世の中で十分な賃金は必要ではあるけれど、労働自身が自己実現となるためのパフォーマンスとなりうる労働を追及することが働くことの本質であると思います。 それはさまざまな選択肢を作って時期ごとに選ぶ、M字型雇用を踏襲するものではなく、人との差別化を図り、この努力へ歪曲する能力開発でもない、また分業化による合理化でもない(たとえそれが時間短縮のエサ付でも)本当の「もう一つの働き方」を模索することです。 それはどうやって? これから一緒に考え創っていきましょう。      だから今、労働組合。 
 おかしいと思うことが自由に言え、それを変えていく可能性のある場、私達はそれが欲しかった。人目を避け、酒の席で愚痴のようにこぼしていたことをこれからは実現していくために行動していける場がある。 不満を閉じ込めないで、変革のステップにしていける。 だから今、労働組合。 できたてのほやほや。だからあなたの色も加えていける。一緒につくりましょう。いざ結成大会へ!  1988年10月2日


 以下作った後のモノローグみたいなもの・・・。これ誰かと共有できてたらな・・・。今頃昔話でもなかった。結社に加わらなかった私は、オルグのノウハウを知らず、いつも一人だったのだ・・。

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なぜ労組を作りたいか?
今よりもっと人間らしく働きたい。今よりもっと自己表現できる場所がほしい。そのためなら多少のことは覚悟するけどこれが果たして手に入るのかが大きな疑問 今より悪くなるなら ない方がいい
           つくらない方がいい
そんな労組のために、今ある状態をこわしたくない
 今だって   少しずつよくしていける  と思う
 →少なくとも私は理事会を敵にするムキだしの力関係
   好ましく思わない
   日常的な中で困難が生まれる
 管理・しめつけが厳しくなるたとえ今より悪くなるとしても、労組の中身を変えていけばと思って
   T女史にも相談した  → いまいち 失敗
   ほかの人にも呼びかけようと思う         →私の今の状況では非常に困難           よびかける人もなし
 労組vs理事会の厳しい状況の中で労組の中に対立派vs和解派をもちこみ(もちろん力関係でなく、だけど)勝つことは、ムツカシイ。
 キクチくん、対立派ではないか―(でなければいいんだけれど)
 ①なぜ労組か 理事会はテキ。生活クラブを混乱させて矛盾を暴露すべき。労働者を雇用者は和解できない。労働者のヘゲモニーをとり闘うべきである。
 ②労組のやるべきこと システムとして取り込まれる、牛乳の再編による分業化や職能制度に反対していくこと、サービス残業などに見られる搾取をやめさせることが最優先
 ③現社会状況の中での労組のあり方 戦後負けてきた労働組合労使協調能力主義の導入などを克服して新しい労働運動の質を獲得し、労働運動の翼賛化を阻止したい。

和解派(というより私の考え方)
①労働者の無権利状態、不合理のまかり通る現状、疎外労働の存在などは、生活クラブの運動がオルタナティブとなるためには克服しなければならない課題なのに、放置され、あるいは依拠している現状は、生活クラブの運動自身を脆弱にしている。真に生活クラブがオルタナティブな運動として今後発展していくには、労働者の自立、労働者の視点からの経営・運営チェックは必要不可欠である。このことが理解されるなら、理事会とともにつくっていく(もちろん労働者側の一方的譲歩は許さない)ことも可能。むしろそうあるべき。新しい労働運動のあり方として労使協調はもちろん、階級対立(現体制の構造としての実在は認めつつ)をも弁証法的(?)に昇華させて新しい労働運動のあり方、労使のあり方をつくりたい。
労働組合の目的は働く者一人一人の自立である。そのための労働者の利益に反するさまざまな合理化、分業化の動きに反対することは自立した労働者として当然カクトクせねばならばならないこと。 しかし、その上に労働組合が労働者一人一人が参加できる“場”であること。思ったことはいえ、よりよい方向にかえていけるんだという場づくりがとても重要。困ったことにも親身に対応できるような幅広いイメージが持てるような労組を。観念、感覚でなく、一人一人の生活、人間から出発できるような場でありたい。
③新しい労働観を創り、単なる経済優先主義の労働運動でない質を。
 他の社会運動と連動しながらそれを自分の労働の中でつくっていく。
 ファシズムに流されない労働者、長いものに巻かれない労働者である自分をつくることで 現在の状況に抗う。もちろん他の労働・市民運動と連帯して大状況に対しては対抗してい く。

 なぜ和解派か。(勝手に名づけさせてもらう)
 ①対立派の「なぜ労組か」では、非常に孤立しやすい。対立して力関係で押すにはあまりにも力量がない。かなり組合員がシビアなところに置かれる。それにみんなの支持を得ない。展望がないと思う。うまくいって、生活クラブを倒しても(?)だからどうなるのか。相手が国や東電や商社ならまだしも、生活クラブ相手に対立しても、マイナスの方が多い。そういう関係をつくりたかったら、ほかの企業に就職して労組やってるよ、と思う。
 ②今あるひどい状況を力関係で変えさせることはもちろんいいのだけれど、それだけだとあまりにオールドファッションだし、イデオロギー論争になってしまって実がない。具体的カクトク物がない。それについていけない職員は疎外感を持つ。身近なところから、具体的なところから、本質論を透視しつつ、展開していくことが大切だと思う。一人一人が現状を変えていけるという自信を労働者が持てるようにすることは非常に重要。労組が組合員を疎外しないこと、自己表現を促すことが日常的にないと、第2評議会になる。
 ③労働運動の翼賛化に反対するのは大切。今ほど労働組合が無力である時代はない。でも反対する勢力の一翼をになうのはもちろんいいけど、それだけでなく自らの生活=労働のなかで、アンチを作り上げていくことで、戦争反対などのスローガンを自分のものとしたい。でないとムツカシイ。
 はっきりいって対立派の発想でできる労組だったらつくらない方がいい。
 労働組合ができても(できたから)
   仕事がやりにくい
   さまざまな場所で管理がキビしくなる
   生活クラブ組合員との関係が悪くなる
   一人一人の不満を取り上げる場がいぜんとしてない。
 となって、歴史的にも軍事クーデター的にしか位置づけられないとすると、労組があれば、と思っていた人たち、何とか長く続けたいと思っている人たちが迷惑するから。「労組暴力事件」をまたくりかえすことは生活クラブにとっても全くよくない。
 私もさまざまに具体的に予想される困難、代償に耐える自信がない。
 労組ができてひとつもいいことがない
       なら つくらない方がいい。


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 乳飲み子を抱えて就職1年目の私はなんと一途で正しかったことか・・・。気恥ずかしいけど。
これ以上の正しいあり方があっただろうか。と今も思っちゃう。ますます思っちゃう。何度も確認しちゃう。正しいだけじゃダメなのは当たり前のことだけど。

 負け戦だった。実際思ったとおり。それでもまるで帰りの燃料を積みこまない自爆テロ、以外のどういう方法が取れたのか、15年たっても、私にはわからないから、そこからどこへも進めない。

 このあと15年かかって、結局すべてに負けてとほうにくれたままの私がここにいる。
 私は27歳の私がその時代にはじき出した生き方ほど、今のこの時代にあるべき生き方は出せない。
 小さな闘いすら勝つための方法も技術もまったく備わっていないので、どうやって世界に向かったらいいのか全然わからない。


やっぱり途方にくれたままたたずんでるほかないのだ・・・。

ひさしぶりである

ふうん、ちょっと書かなかったらいろいろパワーアップされてるんだね。私にとって使いやすいかどうかは別の話だけど。

あんまり理屈っぽいことばっかり書いてるとやになるけどさ。どうでもいいこと書いてるのもまたやになるしね。何のために「書く」のかなあ。ひとりごとにしては人の意見が気になるし。事実を書くことに関心がないし。

ちょっと試しに書いてみました。

いいかげんやになっちゃったわ

ぎょえー7日目に突入してしまった。1週間たったってこと??

で少し見えてきましたわ。




それにしたって送信してもう安心と思ったら全然送れてなかったりってどういうことかなあ。まったく。

冗談じゃないぜい。

やっぱ向いてないかも。こういうの。まるで風がビュービュー吹く窓で原稿を書いてるみたいに書くそばからどこかに飛んでいってしまうのよ。
こんなところで書き続けるのは馬鹿ね。人生の無駄だわ。

他者化という不愉快

昨日はちょっと最後筆が滑ってしまった。

女というだけで性的な存在にさせられてきた不愉快をちょっとだけ感じてほしかったので、えぐいことを書いてしまったけど、まあそういうわけで主語を変えればお互い様なわけで、相互理解というのはもし自分が相手だったら、と想像するところから始まるわけです。男もこんな風に思ってるんだな、と私も分かったりするわけで。女って言うだけでセックスが歩いてるように思う男性も多いらしく、まあこんなかんじで思ってるってことなんだなあ、と。でも男性が女性に自己投影することはほとんどないらしい。

つまり自分がもし女に生まれていたらどう思うだろうか、などと考えることは全然ないのである。

男性による主語の独占が行なわれてきたからである。そういう意味でフランス語のフェミニン・エクリチュールって言うのが意味がある。日本の場合は日記文学は女の独占だったからちょっと違うけどね。(だから私はすぐ日記みたいな文章になっちゃうんだよな。男にかけないだろーとかどっか思ってるわ。紀貫之みたいに「女装」しないとね。)

最近もし自分が女に生まれて育っていたら友だちを死なせないですんだかもしれない、男だったばっかりに、おいしいものの一つも持っていてあげられないで、やさしいこともいえないで、彼は死んでしまった、などと言うことを言う男の人も出てきて、大変いいなと思っている。でも実態は女でも見殺しにしてたでしょう。女でもおいしいもののひとつももっていかない人も多かろう(これがユニセックスの弊害ですわな)。私もそういう女の一人だと思うので、複雑な気分ではある。

もし私が兵士だったらー、と、若い同僚の子に行ったら、「女性が兵士だって自分を仮定することにショックを受けた」といわれて、私がショックだったよ。なりたいとかじゃなくてただの仮定の話なのに。

女性は平和主義者で自分が人を殺す立場になると想像できる生き物だと思ってなかったらしい。こういうのもどうかな。だよねえ。女だっていくらでも殺すぜ。だいたいこういう思い込みは裏切られて女性嫌悪に簡単に転化する。

残虐な男性がいるように残虐な女性もいるが、残虐な男性を見て、人間て言うのはこんなひどいことが、と思うのに、残虐な女性には、女って、残酷、て思うのは本当に変な話。旧ユーゴの民族浄化に、人間は・・・というから男は・・だろ、と思ったのだった。女は強姦という手段で男を民族として攻撃するって言うことはしてこなかったと思う。人類の半分しかしてない残虐行為を、人類全部に帰さないでほしい。これからは女も強姦する権利が手に入るんだろうか。相手の意図と違う性行為を快楽だと思う倒錯が、人類の半分以外に波及するかどうか、それこそ人間は、なのかどうかだな。これはなかなか想像するのが難しい。
あ、そうそうアメリカ女性兵のイラクの男性捕虜への性的虐待ね。あれもまあどうかとおもうけど、て言うのも他に女性捕虜に対する男性兵士の性的虐待がもっとたくさん悲惨にあったと思うけど、女もやるんだーで、チャラになった情報操作と考えられるからである。結局利用されたな。

人類の半分がしてこなかったように、あとの半分がなってほしいけど、そっちの感情移入はないからそちらの方向にはならなかろうな。女になる、なんて考えたこともないんだから。でも、女になるのも悪くないはず。私の男の知り合いは、異性愛者だが自分が女になったと想像して、マスターベーションをすると、何回も限りなくいくそうだ。それは私もうらやましい。

ともあれ、こういう変なことはなかなかなくならないことではある。だから、時々、男を他者化する言説に接することで、他者にされる、ていう体験をしてもらいたいと思うのである。それはめったにないことだからそうされるしか味わえなかろう。こんな思いをするんだな、とスカートをはいた気分になるだろう。あ、私はスカートが好きですよ。そういえば最近ズボンばっかりだな。