映画ザ・コーポレーション上映館アップリンク

ザ・コーポレーション(原作asin:4152086041)を上映しているという場所 アップリンク・ファクトリーが面白い。この主宰者の浅井隆さんという人がなかなかユニークである。映画を提供するのみならず、この映画の最後のマイケル・ムーアの問いかけに何とか応えようとする姿勢がなんとも好ましい。
映画としては、ちょっと私の体調がよくなかったせいもあり、2時間25分は大変長く、またマイケル・ムーアの映画と比べれば、人の話が延々続き、カメラワーク自身にはあまり工夫がなく結構飽きさせる。情報量が多すぎ、うまく整理されているとは思えない感じだった。知ってる人には知っている話だし、初めての人にはあまりわかりやすい構成ではない。情報が断片的でその問題自身を深めた感じがしない。
つまりは企業が悪だということを言うための手段になっているけど悪なのは私にとっては当たり前なんで、いまさら、なかんじでもあるのだ。むしろ、一つ一つの問題を突き詰める中で、深い暗示をするほうが印象深かったのではないかと思う。素材が雑に扱われている印象があった。
日本では公害とかがあって、企業はもともと悪いもんだって言うのがあるけど逆に欧米にはそんなにないのかな(いや、そんなことはないだろう)。もちろん悪いもんだからしょうがないんだって言う理論で何もそこで変革せずに、その悪い企業に入って悪いことするのをお金や安定のため受け入れてる私たちではあるけれど。
だから、どうしたらいいのよ、ていうことのほうがむしろ大切なんだよなあ。そこがなかったな。アクションをおこせったって何したらいい?ていうかんじ。私たち市民じゃないから。企業人で丸まる人生生きているから。
選挙の前にこの映画やればまだ意味はあったように思える。民営化の民は民衆じゃなくて私企業なんだよていうこと、日本人に思い出させなきゃいけなかった。
アスベスト地震強度偽装も、そういうところからでていて、そういう企業の論理に国民全体が丸め込まれ、政治も行政も、その延長になっていて無力どころか加担してるってことなんだが、いったい日本人の誰が、仕事の場にいてそれに逆らって良心で行動できるって言うんだろう。自信のある人手を上げてほしいよ。あんな事件は当たり前に思える。
それでも、ボリビアの実際の映像や、ナチスアメリカの企業がすごく協力した話、フォックスが83回も批判的番組を直させた話など、またマイケル・ムーアの、自分の映画は大手企業の配給だ、企業は儲かるなら自分の首を絞める縄でも作る、自分はずっとその縄でいたいっていう話、その他ニームの木の話などなかなか情報としては有益なものも多いので、見て損はしない。
神野直彦東京大学 財政学)さんが、先日面白い話をしていた。世界初の株式会社は、東インド会社だそうだ。株式会社とは、有限責任という意味。そのこと自身が大きな特権である。だからアメリカでは株式会社を長く認めなかったそうだ。ボストン茶事件のころは毎年申請して許可しなければならなかった。しかし、南北戦争の時、戦争の利益で、モルガンやロックフェラーなど大きな会社ができて後、賄賂でリンカーンの後の酔っ払い大統領グラントに株式会社を認めさせたという。その次の大統領ハミルトンは、「法人の法人による法人のための政治」といっていたそうだ。
それ以来株式会社は、大きくなり続ける。
もともと税システムは戦費調達のためにできたらしいのだが、戦争を引き起こす国家にはどんな貧乏でも金持ちでも同じ一票の選挙権という規制がある。しかし会社にはそういう民主的な仕組みが全然ない(そういえば映画では悪徳経済学者ミルトン・フリードマンが民主主義など企業と関係ない、と相変わらずの悪党ぶりで嘯いていた)。
国家の基本は、土地と労働力と資本が同じ場所にいることが前提であったけど、資本が、国境を自由にいききするようになり、国家の中の政策が何も機能しなくなった。でもそもそも東インド会社が最初の株式会社なら、お里が知れるというものだ・・・。
それはともあれ、長い映画の後のトークショーの意図は、この実態を知って何ができるかというきわめて端的な問題意識のもとにあった。みどりのテーブルという政治の世界への働きかけをしようというグループを呼んだ意味も、この現状の中で何をどうしようとするのかを聞こうということだった。そして呼ばれた代表の元CHANCE!の小林一朗氏も、科学ジャーナリストとして、企業の社会的責任にかかわってきたことから、自分に適したテーマだと思ったはずである。が、話はこれ以上ないほどにすれ違って凄惨を呈した。
浅井さんは自分の問題意識にあくまでも忠実で、お、これはもくろみと違う、と思って、急遽別の路線に変えて、彼のもっているものを引き出してこの場をしのごうという取り繕いを全くしない人だったので、出だしからこのすれ違いははっきりしてしまった。
話者も聞き手の意図を汲んで、用意した話を急遽変更しようとしなかった(できなかった)。要は変更できる中身がないということでもあるのだが、このことについては妥協なく猛省すべきであろう。
内情をなんとなく知っている私は、同情しないわけでもないが、こんなんでは選挙にも政治にもかかわれない、という認識は持ってもらわなければならない。たとい中身がなくても、開き直って、まだまだグループは未熟で、これからなんです、ぜひ皆さんの知恵や力を貸してください、とかだって言えた筈だ。そして中身がなくとも、その熱意から共感する人もでたはずだ。政治家にとっては結構こういう技術がどんな仕事より圧倒的に必要なんだと思う。
ベーシック・インカムについてや、地方の雇用対策のことなど言いたいことは私にはよくわかるけれども、みんなが聞きたいのは、そういうことじゃなかった、それを察知できないって言うことは致命的だった。しかも呼んだ側はどんなに自分のグループの宣伝してもらってもかまわない、じゃんじゃんしてくださいという政治をしようという人にとってはうってつけの条件だったのだから。
それにしても、とても多くの人が残っていた。映画館はほぼ満員で80人近くの人がほとんど帰らなくてトークショーを聞こうとしていた。聞き手が言うようにこれは新しい政治勢力への期待の大きさを物語っているように思う。この事実自身は少なくともこの国の数少ない小さな希望だ。この期待に応えられないで失望を生むとしたら、その責任は大きいといわなければならないけれども。
むしろみんなが何を求めているのか、残った人たちにいろいろ意見を聞ける場になったらよかったかもしれないな。あの映画を観ようと集まり、見終わった後に、何かを期待する人たちだったのだから。今のひどい日本の中では、それだけでもかなり大きな希望だと思える。そのあつまった人でこれをきっかけに党を作ったっていいくらいだ。今度はそんな企画をしてみてはどうか。
映画という枠組みを超えて、行動を志向するアップリンク・ファクトリーの意欲的な試みに敬意を表すとともに、今後も期待したいと思う。