スウェーデンの平等社会の秘密―スウェーデンはなぜ男女平等先進国に

榊原裕美

誰かが転んでいるのを見て、そそっかしい人だと思うか、道が転びやすいのでは?と思うか、国によってどちらを選ぶ人が多いか実験したら、日本では断然そそっかしいと思う人が多いそうです。
どんな問題も本人のせいにするのは簡単ですが、それでは何もことが進まない。「情けは人のためならず」という言葉が日本にあります。人が困っているのを助けたり、良かれと思っていろいろしたことが結局自分に戻ってくる。例えば、傘を貸してあげたら、ちょうど雨が降って困っていたときにそれを返してくれたとか。そんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか?
 スウェーデンで生活して、この国の国民は、平等という理念に大きなメリットがあると知っているのではないかと思われてなりませんでした。単に社会的に崇高な理念だというだけでなく、それは、個人にとっても大いにメリットがあるという合理的な精神が背後にあるようなのです。
環境問題でも、日本だったら、キャンペーンで、エコロジーやリサイクルに敏感になるように意識啓発をします。スウェーデンでは、デポジットで、缶やビンは返せばお金が自動的に入るしくみが入っています。お金になるので道には缶もビンもひとつも落ちていません。利他的に行動するように人の意識を変えるより、利己的な動機でもリサイクルができればよいし、町がきれいになればよいという合理的な精神がそこにあるように思われます。
 環境問題に限らず、最も合理的なだれでも実行できる仕組みがその結果が効果をもたらしていることをスウェーデン研究の中で常に痛感します。意識の高い立派な人たちでなくても、利己的な人間でも、困ったときも心配することなく、あくせくしなくても知らずに助け合って社会を作っている。私たちは、そんな、どの国でも可能かもしれない知恵や可能性を彼らの社会の仕組みからたくさん引き出すことができるのではないでしょうか。

スウェーデンの男女平等の背景
スウェーデンは男女平等が進んだ国として有名です。女性閣僚の数も世界で一番多く(22人中10人で45.5%)、国会議員もほぼ半分(47.3%)です。日本は今回の選挙で少し女性比率が増えましたがまだまだ足元にも及びません。女性の労働力率は、80%、つまりほとんどの女性が、子どものいる女性も同様に働いていて自立しています。男女の賃金格差の少なさも世界有数で、パートを含めても男性の約80%です。働いてもなかなか自立できないほかの国の女性の状況と違って、なぜそうなれているのでしょうか。 たしかに女性たちの運動がさかんなのも事実ですが、そもそも平等にしやすい社会の仕組みがあるのだと思います。ここでその仕組みについて考えてみたいと思います。

 ?スウェーデンの政治の仕組み
スウェーデンは、1920年世界で初めて社会主義政党が議会で政権をとった国となりました。そののち32年に再度社会民主党が就いて以来、長く政権与党でした。このことは、スウェーデン社会が平等であることと大きく関係します。
選挙制度は、すべて比例代表で、個人を選出するということがありません。首相はもとより、各自治体の首長でも、個人を選ぶ選挙はされずに、最も得票の多かった党の代表が市長など首長になります。それぞれ主張が鮮明な各政党の得票がほぼそのまま議席になるので、選挙は国民の投票行動、すなわち政治的傾向をきれいに反映します。このグラフは、新聞に載った2006年総選挙時、前回と比較して、現在の各政党の支持率とそれを反映した議席数です。 

    保守党 中央党  自由党 キリスト教民主党 社民党 左党 環境党
    97議席 29議席  28議席 24議席  130議席  22議席 19議席
     右派中道ブロック 178議席  社会民主ブロック171議席 合計349議席

現在7政党の、右派中道ブロックと社民ブロックで、それぞれ連立を組んで政権を担当します。1932年以降、1976-1982年、1991-1994年と現在(2006年以降)の計3回、政権交代が起こり、右派中道政権が与党になりました。
4年に1度、9月の第3日曜日に一斉に行われる総選挙の年に、選挙小屋と呼ばれる人通りの多いところに構えた小さな事務所で政策をアピールしたり議論をしたりするのは有名ですが、政治は身近で、投票率もかつては90%、現在も80%です。投票しない人は怠け者だと軽蔑され、投票日は家族そろって正装して投票に出かけます。
現在では、右派中道ブロックの政党でも、社民ブロックと同様に男女比はほぼ半々です。どの政党も、リストの半分くらいを女性にしないと、女性の有権者から支持を得られません。

?平等主義の労働組合の存在感
スウェーデンの大きな特徴は、他の北欧諸国と同様、労働組合の組織率が大変高いことです。そして、社民党労働組合は関係が深いです。
1930年代から70年代初めまで、スウェーデンで政府は、高い組織率(約八割)を誇るブルーカラー中心のスウェーデン労働組合LOと社民党が共同経営していたといってもいいような状況が続きました。よくスウェーデンモデルとして挙げられるのが、LOが提起した「連帯的賃金政策」です。これはLOの専属エコノミスト、ヨスタ・レーンとルドルフ・メイドナーが考案したといわれ、レーン・メイドナー・モデルといわれます。

(この図は、宮本太郎氏の「福祉国家という戦略」(法律文化社)から引用し加工されたものです。)
賃金水準は通常、職種や企業の利潤率に応じて多寡が生じます。労働組合経営者団体の全国団体間で中央集権的な賃金交渉が行われ、企業間や業種間での賃金格差を縮小するのが「連帯的賃金政策」です。これは、大企業であろうと中小企業であろうと同じ仕事をしている人は同じ賃金、つまり「同一労働同一賃金」です。なかんずく、職種が違ってもはなはだしくは賃金格差ができないような「同一価値労働同一賃金」(同じ価値の労働は同じ仕事ではなかったとしても同じ賃金)も実現できることになります。つまり、
? 発展的な産業や高収益の企業では、利益が増えるに従って、通常賃金も高くなるのが自然ですが、連帯賃金によって、平等が図られます。企業の利益が上がるに伴って、人件費が高騰し物価を押し上げるインフレを引き起こすことへの調整が図られます。
? もともとの賃金水準がこの線より低い、すなわち利益率が低い産業や企業では、平等な賃金にすると人件費が高くなります。人件費コストを調整して利益を上げることが不可能なので、経営努力によって発展するか、労働生産性が低い産業として淘汰されることになり、健全な経営の産業や企業だけが生き残ります。
? 斜陽産業や、経営の良くない企業の破綻によって、その職種の人々は失業することもありますが、失業者は手厚い政策で守られます。労働者の技能を育成・再訓練し、生産性の高い成長産業に送り込むための「積極的労働市場政策」を政府は実施します。このように、労働力移動の流動性を高めることによって、企業は健全な優良企業が適切に育ち、労働者は低い労働条件に苦しめられることなく、生活を保障され、安定した職業生活を続けられます。

この「連帯的賃金政策」の、スウェーデンでの実際の機能については議論のあるところです。しかし、同一価値労働同一賃金という崇高な労働者の理想を実現する政策が、組織率の高い労働組合運動の中で追求され、ひとつのビジョンとして人びとの規範となっていたとはいえます。平等な賃金を目指した労働組合提案の「連帯賃金政策」は、雇用の安定を損なわずに流動性を高めていく「積極的労働市場政策」をはじめとする政府のさまざまな政策とタイアップした雇用政策、社会政策、そして経済政策でもあったのです。

?政府の役割
平等を求めた「連帯的賃金政策」は、生産性の低い産業の淘汰を通じて国内経済全体の生産性を高度化し、国際競争力を高める効果も生んでいます。
これは法人である会社にとっては、人件費は固定されるので優れた経営手腕が必要となり、自然人である人間は労働者としては常に安定して働き続けられるような仕組みといえます。
かつての日本型雇用慣行のように賃金が勤続年数で年功的に上がることはありません。同じ仕事では何年してもそれほど変わらない給料ですが、高校・大学の教育費は無料、住宅手当や児童手当が税金の再配分で政府から支給されるので、ライフステージに応じて賃金が上がる必要はないのです。企業のかわりに政府が、国民の生活の保障をします。国民がどんなライフスタイルを選ぼうと政府に生活を保障されているといえます。
社会人になった後も簡単に大学に入り直せるし、無料の教育があって、転職やキャリアアップが容易になるような政策とも組み合わされます。政府にしてみれば、労使がともにインフレ抑制に協力したり、企業の淘汰を促すことになるので経済政策が容易になります。
80年代欧米の多くの国が高失業率に苦しんだ時代、スウェーデンだけは、高水準の就業率にもかかわらず、1970年から1990年にかけて失業率が3.5%を越えることありませんでした。
1985年、相対的に高賃金の自動車と他の製造業の賃金格差は、アメリカで40%あるのに対して、スウェーデンではわずかに4%でした。つまり、自動車産業のような高い生産力を持った産業分野では賃金コストが比較的低くなったのです。平等を追求することに企業がそれほど抵抗しなかったのは、収益の高い大企業にとっては賃金が抑制されることになるからです。
政府が間接賃金を用意し、企業へもメリットを配分しながら、労働組合の推進力で平等をめざしていくのがスウェーデンの戦後のあり方だったといえます。
翻って日本を考えてみると、春闘も、各会社で交渉があり、各企業ごとで賃上げをして、規模の大きい会社から順に決まっていき中小へと波及します。これは、各企業職種ごとの支払い能力によって格差があることを最初から是認した賃金交渉です。好景気のときは上げ潮に乗って、末端まで賃上げが行き届きますが、不況になると、機能しなくなってしまいます。企業に忠実な正社員の高賃金維持のために、不安定で低賃金の非正規労働者を多く雇用することになります。多くの労働組合は非正規雇用の人たちの低労働条件に無関心です。また、政府のセーフティネットが欠落しているので企業が雇用を縮小すると、多くの人たちは貧困に陥ってしまいます。自分の入った企業によって自分の生活は決まってしまうので、その企業から落ちないように必死になります。これまで高かった法人税を他の先進国並みにと安くしたら、上がった収益を今までのように従業員に分配して節税することがなくなります。もともと少ない所得税さえも払える雇用労働者が減って、税収は減少、政府はますます何もできなくなり借金がかさみます。かなり効率が悪いやり方に思えます。

スウェーデンの平等と平和主義
スウェーデンは中立政策によって第二次世界大戦に参戦していない特異な国です。これは平和主義の文脈で語られることが多いのですが、実はもっと深い意味があるように思われます。第二次大戦は、総力戦・総動員体制とも呼ばれ、国民全員が動員される戦争でした。当時どの国においても、争議が頻発し階級対立が先鋭化する国内問題を抱えていました。戦争は、外に敵を作ることで、同じ国民であるという名の下に、出自や資産の多寡よりも国家への貢献で栄誉が得られるチャンスを与えて、身分や格差に束縛された人々を平等にする幻想をつくります。国内の階級の利害の対立を、1つの国家としてまとまることで緩和したい、つまり、国同士で権益を争うことで、ナショナリズムを鼓舞し、国内の階級融和を図ったといえます。
スウェーデンが、第2次大戦でどの国とも戦わなかったということは、そして、1932年以来、社民党政権の下で統治が行われたことは、単なる中立や平和主義以上の意味があります。すなわち大戦前の大恐慌を経て各国で激化していた階級対立や大失業を、国家総動員体制下での戦争による平等化ではなく、社民党政権の政策努力による平等化で乗り越えたという、他国にない歴史を背負っていることを意味しているのです。組織労働者が大失業時代に低賃金労働に代替された苦い思い出やその超克の歴史は、日本やその他の国のように終戦という大きな事件によって記憶を消されることなく、類のない強い平等志向、労働者視点は、戦後も継承され、過酷な国際社会の怒涛の中、小国が生き抜くためのリアルな戦術は、継続され維持されてきたのです。
例えば、保守政権の時つくられた「失業委員会」は、大量失業時代に安い労働力の供給源として機能し、政権を得た社民党とLOにとってその解体は悲願とも言うべきものでした。低賃金労働の容認は労働条件の下降を生むと、1939年までかかって粘り強く解体していきました。また1933年、成立したばかりの社民党政権が、ともに連立を組んでいた農民党(現中央党)に、争議を頻発させ高騰する建設産業の高賃金を解決しないと連立を抜けると迫られ、LOが介入して全産業労働者の170%だった建設労働者の賃金を130%まで削減したことがありました。こうした経験は、1951年に提案された「高賃金より平等な安定的な賃金を」というレーン・メイドナー・モデルの路線と地続きに見えます。
すでに大恐慌後の厳しい雇用状況の中で「男女が同じ賃金なら男性の方を雇用主は雇うだろう」という理由から保守的な男性が男女平等を要求するといったことが起こっていましたが、平等を求める裏面にそういった本音があったと言うのは興味深いことです。

こうした背景の中で、スウェーデンの女性の社会進出は、産業構造の変化や女性運動の興隆という世界的な流れと同調しながらも、独自の方法で達成されていきます。

女性の社会進出
中立政策によって二度の大戦に巻き込まれなかったスウェーデンは、50年代にすでに合理化を成し遂げ、生産過程の単純化と規格化を進めたため、非熟練の労働力の需要が増大していました。合理化で男性よりも安い女性の労働力が用いられるのは戦間期に証明済みでした。
朝鮮戦争の好景気の影響を受け賃金が高騰した1950年代、財界の合理化推進者は「女性の労働力は安いので、高い男性を減らし、単純作業をする大量の女性を雇うべき」と薦め、ストの代用労働者として女性労働者が登場し、男女差別が問題になりました。
1960年代に、それまで製造業で一般的だった女性賃金の別立て慣行による男女別の賃金が廃止され、また、LOの民間セクターの現場労働者だけでなく、公的セクターや民間セクターの事務職の労働者も、中央集権的な労使交渉がされるようになりました。
1960年代はじめ、高度成長の労働力不足が既婚女性を製造業に引き出したものの、60年代後半から70年代前半の間に、オイルショックと後発国の追い上げによって国際市場のシェアを失っていった輸出関連製造業セクターの雇用環境は厳しくなりました。加えて連帯賃金と小企業への累進課税のため、民間の雇用の伸びははかばかしくなかったのです。同じころ、女性運動グループはLOや社民党に圧力を加え完全雇用と平等に取り組ませ始めました。70年代から80年代にかけて、地方自治体では、福祉サービスの充実のためのパートタイム労働の直接雇用を生み出しました。
結果として積極的労働市場政策的に、女性を製造業から、公共セクターで生み出された保育や介護といったサービス部門へと移していくことになりました。社会福祉サービスの拡大は、民間から押し出された女性たちだけでなく、主婦から新しく労働に参入する女性にとっても働き口となったのです。雇用制限をしていた民間セクターでは、男性は女性たちと仕事を直接奪い合うことなく、また「連帯的賃金政策」のおかげで、男性の置き換えの低賃金労働者になって労働市場を歪めることもなく女性は労働市場に統合されました。こうして女性の労働参加は1990年までに約83%までに達しました。また、賃金格差や低賃金、セクター間の賃金の格差が改善され、女性の実質賃金は男性より高く上昇しました。こうして男性稼ぎ主モデルから共働きモデルへの転換は、慢性的な労働力の不足と、平等への要求で進められたのです。スウェーデンの女性の社会参加は、それ以前からあった平等志向の社会の仕組みに大いに助けられているといえます。そして先の業種間の平等とともに、男女間の平等が図られたことは、スウェーデンの経済に良い影響を与えました。

資料 LO andra halvseklet 1998 のデータより作成。

資料 “wage and salaries of women and men” 1986 Statistics Sweden のデータより作成
公的セクターにおける女性のケアワーク現業正規雇用は、労働組合の組織率を上げると同時に、育児や介護などのケアワークの社会化も実現させました。既婚女性を正規労働市場に引き出し、平等な賃金により、男性の賃金を世帯賃金としないですみ、輸出産業の人件費コストを下げ国際競争力が増したのです。公的セクターの女性の雇用がさしずめ公的補助金のような形で作用したといえます。



現在、スウェーデン最大のブルーカラー(現場労働者)労働組合の全国組織LOの委員長は、1952年生まれの准看護師、ヴァニヤ・ルンドビー=ヴェディンで、現在LOの加盟労組の中で最大、かつ女性比率が高い組合で、公務員組合の出身です。
一般的に男性中心的であるといわれることの多い労働組合ですが、いまや世界を又にかけて国際的に活躍するLOの委員長が、公務セクターの現業の女性であることは、スウェーデンの国のありようを象徴しているように思います。雇用の現場で声を上げる女性たちは、当然政治的にも発言力を増し、女性の政治参加が進みました。


スウェーデンは、男性の働き方に女性を近づけるのではなく、女性と男性、両方ともが私生活を大切にしながら、自分の人生を選べるような働き方を作ってきたといえます。そうした平等の追求が、経営コストや経済政策的なメリットにもなり、さらに安心して子どもが生める社会をも形成できたので、先進国の中では出生率も高いです。しかし、公共部門のケアワーク現業に職種に集中させたことが、相対的な低賃金のまま女性職種が特定されるという性別職務分離ともなって、男女平等の視点からは大きな問題になっています。


70年代の日本のように、男性の雇用確保のために女性を家庭に戻してしまったのは、平等だけでなく、社会にとっても大変残念なことだったのではないでしょうか。女性は、家庭の中での権力だけを手に入れて、雇用は、低賃金のパートか、疲弊したキャリアウーマンになるかの選択肢に限定されてしまい、大きな社会参加のうねりをもてなかったし、男性並みのキャリアウーマンか、家計補助のパートか、と労働市場が統合されないで二極分化し、そのことが今日の日本の雇用の分断を生み格差のみならず貧困をもたらしています。さらに男性の稼得能力を過大評価せねばならず、男女間の不平等のみならず、企業が正社員を抱えることの負担も増やすことになったのではないでしょうか。
男女とものブルーカラー中心の労働組合によってホワイトカラーとの格差が簡単に進まないシステムが機能し、雇用の不安定化や低賃金化に常に気を配り、公的セクターを活用することによって、男女間の雇用・賃金配分が調整されてきたスウェーデンは、平等をすすめただけではなく、産業の違いや経済の中の産業構造の変化から来る仕事の二極分化傾向による社会の分裂分断状況を回避した優れた経済政策だったといえます。今から思えば、戦後の復興から高度経済成長を経た製造業が中心の工業社会が成熟し、脱工業化社会、ポスト工業経済を迎えた現代社会にとって、その平等志向の社会システムは最も適合したものでもあったのです。

ポスト工業経済対応型システム
製造業での雇用の縮小とサービスセクターの雇用の拡大による構造変化は、ポスト工業経済と呼ばれる現象と同じ構造です。不況期も活用して、スウェーデンでは、積極的にポスト工業化を推進しながら早くから対応してきたとも見えます。
1979年から1993年の間にOECD諸国は平均22%の割合で製造業の雇用を失いました。国によっては、製造業全体の3分の1から2分の1の雇用が失われたところもあり、これだけの規模での雇用の減少は、戦後の脱農業化に匹敵するするといわれていますが、今日ほとんどの実質的な雇用増加はサービス産業で起きています。問題は、人相手のサービス業では、それほどの生産性があがらない低技能の仕事であるということ。また製造業も、技術革新により、高度な創造的な仕事と極めて単純な労働とに分化しました。
こうした状況の中で、職種横断的な平等賃金をめざす「連帯的賃金政策」は、かつて高度成長期の技術革新の中では、人件費の高騰を原因とする失業やインフレを抑える政策として機能しましたが、現在は、製造業の二極分化とサービス業の増加により、業種別におのずと生じる賃金水準の低下を抑制する機能を果たしています。サービスセクターは公的セクターとして、賃金水準を底上げしながらも、相対的に高い賃金コストは、経営的な合理化を進めて、労働生産性をあげることにつながって機能しているといえます。
多くの国で、雇用か平等かの、つまり、低賃金で保障のされない雇用を広げて失業率を減らすか(アメリカ型)、高度成長期の製造業を前提にした典型労働者の労働条件の保障を平等にする代わりに、高失業を受け入れるか(大陸ヨーロッパ型)の二者択一の中での、第3の道でもあったのです。

外国人も同じ賃金―平等か排除か
また、外国人も同様に、スウェーデン人と全く同じ労働協約、同一賃金で雇用されてきました。2004年に起きたラヴァル社事件は、EUのグローバルな規範と衝突するスウェーデンの国内規範を象徴する事例でした。東欧ラトビアの企業ラヴァル社が、スウェーデン国内の小学校の建設現場でラトビア人をスウェーデン労働協約より安く働かせたということでスウェーデンの建設労組が何ヶ月もストを打ったのです。小学校側は発注を取り消し、ラヴァル社は撤退、スウェーデンにある子会社は倒産しました。ラヴァル社は組合に損害賠償を求めてEUに提訴、EUは、「スウェーデン人と同等に扱うのは差別取り扱いだ」という奇妙なラヴァル社の主張を認めました。興味深いのはスウェーデンの財界もEU決定に不満だったことです。もし安い賃金で外国人を働かせることが可能になれば、スウェーデンの会社は不利になるからです。外国人にとって、スウェーデン人と同じ条件で採用されることは大きな壁になり、平等に扱うことは実はスウェーデン人にとって有利だ、というEUの決定は、スウェーデン全体にとって受け入れがたいものでした。

平等はお得??!!
つまり平等は長期的に見ると、いろいろな意味で、面白いように割に合うのです。逆に割りに合わない平等は実現しない、といえるのかもしれません。

? 企業間、職種間の平等賃金は、企業や産業の新陳代謝自然淘汰をうながす。効率や経営能力のない悪い企業を永らえさせない。
? また、高収益の企業の賃金の高騰を避け、インフレ抑制になった。
? 産業構造の変化によって二極分化し、低賃金労働の蔓延か高い賃金レベルによって高失業率を維持するかの二者択一に陥って、いずれの国においても拡大している社会不安の問題から免れる。
? 政府による社会保障は、企業の負担を軽くし、企業の状況に労働者が左右されない。
? 女性に平等な賃金を払えば、男性の賃金の上昇を減らすことができる。
? 女性が公的セクターに集中し、相対的に安定した賃金を得ているおかげで、民間の国際部門は、男性の労働力を安く使えて国際競争力がつく。
? 雇用が女性化し、福祉国家の現物サービス拡張でケアワークが社会されることによって、出生率をあげることができる。
? 女性の安定雇用を増やせば税収が伸び、年金の拠出の担い手が増える。女性が平均して男性の給与の75%を稼ぎ、女性の就労率が、50%から75%に上昇すると、国民所得はおよそ15%上昇し、平均課税率を30%とすると、国家の税収は10%ないし12%増加するといわれている。
? 労働組合は女性雇用の組織化によって人数減少中の男性中心の製造業の労働組合員を補って組織率を維持できる。
? 政府は税金を払う人のために動く。法人税は28%で、先進国の中では低いレベル。所得税が高いといわれているスウェーデンでは、徴税能力にみあう労働条件の良い雇用をすべての人に保障することが政府の基本である。

平等は理念として美しいだけでなく、効率がよく、みんなが得をすることに驚かされます。スウェーデンのことを研究するほど、この国は、いわゆる近代に入って資本主義が起こった後、爆発的に増えた労働者、つまり働く普通の人、という存在、そこから出発している国なのだと痛感します。もともと能力にめぐまれた人も、起業家も発明家も、アルフレッド・ノーベルをはじめたくさんいるのですが、偉い人を作ること以上に、ふつうの「労働者」がよりよく生きられる国にしようと思っていると強く感じるのです。有名なニルスの冒険というお話でも最初ニルスは親も手を焼く悪い子でした。小人の罰で小さくされ、鳥の仲間たちと一緒に行動するうちに立派な少年になります。人間は、最初からヒーローがいるのではなく、他の人たちと関係を作っていくことで、どんな子どもも良い存在になれるという信仰に近いものがあるのではないかと思えます。精神的な訓示や道徳教育は必要ないのです。人と人が協力し合っていける仕組みの大切さを、広い国土に少ない人数で孤立しがちな風土だからこそ、また、もともと独立独歩の個人主義的な気質だからこそ、強く感じているように思えます。
社会のありようを考えるとき、道はそそっかしい人でも転ばないような配慮があった方がいいし、雨が降ったとき思いもかけず傘を返してもらえたら、みんなが助かる、そんな風に考えてみては、とスウェーデンはささやいてくれている気がします。


##プロフィール
さかきばら・ひろみ/1960年生まれ。生協において労働組合結成、九〇年代初頭、育児時短の制度制定と実践を経て二〇〇四年スウェーデンに国費留学。現在、横浜国立大学大学院博士課程在籍。

<参考文献>
G.エスピン=アンデルセン2000年「ポスト工業経済の社会的基礎」桜井書店 翻訳:渡辺雅男・渡辺景子(原著刊行1999年)
Gustafsson、 Bo  Post-industrial society : proceedings of an international symposium held in Uppsala from 22 to 25 March 1977 to mark the occasion of the 500th anniversary of Uppsala University,  1979 Croom  Helm Ltd (1977年3月22日から25日までウプサラ大学500年記念で行われたシンポジウムの収録)
Mosesdottier, Lilja, 2001, The interplay between gender, market, and state in Swedem, Germany, and United States, Ashgate  Publishing Limited.
Svensson, L, 1995, Closing the gender gap,  Ekonomisk-historisk föreningen

猿田正機 2003年『福祉国家スウェーデンの労使関係』ミネルヴァ書房
丸山恵也 2002年 『ボルボの研究』柘植書房新社
宮本太郎 1999年『福祉国家という戦略』 法律文化社
明美 1997年「スウェーデンにおける産業別賃金交渉体制の形成と女性賃金問題」『経済論叢』第160巻第1号 京都大学経済学会 
榊原裕美 2007年「労働組合による男女平等と経済発展 スウェーデンモデルをめぐる一考察」, 女性労働研究51号 青木書店