研究ノート 

研究ノート

ポスト工業化社会における平等という競争力
 ―スウェーデンの社会経済政策としての男女賃金格差是正プロセス

賃金のジェンダー構造と格差社会マルクス主義フェミニズム分析が提起したもの

労働力の女性化が言われて久しい。
60年代後半から70年代の女性解放運動ウーマンリブのうねりの中で、女性抑圧の構造を探ろうと活発な議論がフェミニストたちによって繰り広げられた。家事労働という労働の領域が「発見」され、その後、工場法や、男性の労働組合運動によって女性たちを保護の下に家庭へと退却させ、女性は主婦と規定され、私領域へと囲い込まれたこととその物質的な基盤として、男性稼ぎ手モデルとしての家族賃金のイデオロギーを見出した。

「大多数の成人男性が受け取る家族賃金が意味することは、他の者、つまり若年者や女性そして社会的地位の低い男性の低賃金を男性が受け入れ、かつそうなるように共謀したということである。女性、子ども、そしてより地位の低い男性の低賃金は、労働市場における職業上の隔離により強化され、さらに学校や訓練機関、家族などの補助的機関によっても、労働組合や経営者層によっても維持される。」(サージェント、1991)
(ハイジ・ハートマン「マルクス主義フェミニズムの不幸な結婚」1981)

多くの国において女性は、製造業における科学技術の進歩にともない大量に発生した単純労働力として、またサービス小売業においてはその主力として、急激にパートタイムの雇用によって労働力を引き出された。マルクス主義フェミニストは、こうした産業構造の中で、性別職務分離とパートタイムの働き方について注意を喚起し、このパートタイムの働き方を労働時間短縮の戦略としての女性の労働力参加として積極的に、位置づけようとした(ビーチ、1993、竹中・久場、1994)。
ドイツのフェミニスト、マリア・ミースは、ローザ・ルクセンブルグの蓄積論を援用し、資本主義は常に労働力と資源を拡大するために、とりわけ市場を拡大するために、「非資本主義的な環境と層」−さまざまなカテゴリーの植民地、とくに女性、他民族、自然への搾取を必要としていたことを明らかにした。「プロレタリアの反フェミニズム」によって、労働者階級の社会主義者たちは主婦化とともに家族賃金のイデオロギーを形成した(ミース、1997:161)。
ミースらは企業の多国籍化に伴う第三世界における性分業と新国際分業による蓄積の拡大により周辺化と二極化がグローバル化するとともに、先進国内部に進行していくことを指摘していた 。
主婦は、団体交渉の力を欠いた「不自由な労働者」として「自由な」賃金の稼ぎ手の男性労働者に結びつけられている。女性が「最適労働力」であるのは、普遍的な「労働者」ではなく、「主婦」と定義されているから。つまり女性の労働は使用価値、商品価値のいずれにも明確ではなく、「自由な賃労働」としては現れず、「所得創出活動」と定義され、男性労働者よりもはるかに低い価格で取引される。(ミース、1997:175)
日本では、パートタイム労働は、家族賃金と積極的に関連付けられ、低賃金を固定する制度化へと向かった。70年代からの雇用の女性差別化の歪んだ現象であるパート化は、男女雇用機会均等法により男女差別が雇用区分差別に取って代わることで改善されるよりむしろ普及した。均等法と同時に制定された労働者派遣事業法、特別配偶者控除制度や第3号被保険者制度によって男性の家族賃金の納税額の控除の男性家族賃金依存、低賃金層への停滞インセンティブがもたらされた結果、自発的に賃金の低賃金化、雇用の非保障化を女性が選ぶような社会情勢が作られた。パートの労働運動は結局、ビーチが期待したような、女性によって選ばれた短時間賃労働の基幹化にはならなかった。
戦後の世界的な高度経済成長、製造業の科学技術の長足の進歩による労働生産性の飛躍的な伸びが、家族賃金を可能にしたが、こうした家父長制的な賃金制度は高度経済成長の終焉や資本主義の産業構造の変化によって終わりを告げている。
85年の均等法制定後、正規労働者でいながらの短時間化のオプション―労働者としての身分保障はそのままに男女ともの生活に合わせての働き方の柔軟性を求め組合を作って実現してきた私にとって、男性ジェンダーの家族賃金が崩壊する資本の現況は、平等賃金の実現へのチャンスともなるはずであった。
しかし、事実は男性稼ぎ主モデルに所得も社会保障も依存していたがゆえの不安定・低賃金就労のジェンダー化された賃金構造の存在が、依存していた家族賃金の崩壊とともに露骨な貧困として現象し始め、二極化が進むことになった。ここにいたって、ようやく、しかしごくささやかにしか、ジェンダーを越えての低賃金労働の蔓延という事態の深化に対して歯止めをかけることができないでいるのだ。
日本の社会にもともと規模別や雇用形態別の格差が内在していたとはいえ、21世紀に入って男性の家族賃金が崩壊する一方、非正規雇用・低賃金のままのパートタイム労働が大規模に拡大・普遍化することで露呈した格差社会は想像を上回っている。この10年間で、450万人正規労働者が減り、600万人非正規労働者が増えたといわれる。実際正社員の割合は92年の78.3%から2005年には67,7%と1割以上減っている。派遣やパート・アルバイトが男性を含むあらゆる階層に広がって、フリーターの低賃金が深刻な社会問題になった。2002年には、高卒の新卒の男子の28.3%、女子の38.6%が、パートタイマーという事態になった(厚生労働省「雇用動向調査」)。その後若者のフリーター、ワーキングプアー問題が焦点化している。2006年には貧困率アメリカに次いで2位になった日本の総中流化社会の崩壊は、男性稼ぎ主賃金である家族賃金の崩壊と同時に起こっている不安定就労の拡大によるものが大きい。

社会民主主義ジームは有効か

日本に数年先立ち、スウェーデンでも有期雇用のパートタイム労働が急激に増えた。94年・95年の高校卒業者の就労者のうち、1998年3月に週最低35時間以下のパートタイムの仕事に従事する者は、男子は3割、女子は5割であったという(篠田編、2001:227)。90年代の初めにあった経済危機によって、これまでオイルショックのときでさえ、増えなかった失業率が急激に増加、有期の非典型的な雇用形態の若い女性のブルーカラー労働者の数が伸びている最近の傾向が明らかにされた。91年に保守政権への政権交代によって70年代の労働者保護の法律が一度廃止されて以来、特に若い女性たちに臨時雇用が倍増し有期雇用の雇用形態は11以上、525000人が、不安定な有期雇用で、LOの懸案事項になった。その多くは、フルタイムに再度戻れない(LOのURL2005.12.6)。
だが、90年に起こった大恐慌以来の経済危機は、適切で迅速な処理により94年には回復したと同時に、日本のような格差は生まれず、相変わらずジニ係数貧困率は低いままである。スウェーデンでは、パートタイマー労働による女性の職場の進出は図られながらも二極化にならず、また格差の拡大にもつながっていないのは、週17時間以上ならフルタイム労働者と同等の処遇を得られ、すべての雇用者は労働時間に関係なく傷病手当、年金、有給休暇などを取得できる。パートとの賃金格差の水準も92.3%という均等待遇であるためだ。労働組合の組織率が、現在も80%であるスウェーデン労働組合LOの提案であるスウェーデンモデルとして有名な連帯賃金制度が、性別のみならず企業規模を問わない同一労働同一賃金の平等志向が、労働者に格差を作らないのだ。
LOは短期のパートタイム労働は短期の就労は失業と同様、とパート失業タイマー(under employment)として懸念してきたが、労使対立の中2006年5月がフルタイム正規雇用を雇用の標準形態とする法案を社民党政権下で成立させた。有期雇用は誠実な使用者と雇用者の希望による場合に限定し、雇用者の雇用期間の合計が、5年以内で14ヶ月となれば、終身雇用が義務付けられる。妊娠・育児休暇中の保護も与えられた。
同国でも近年増えている派遣労働 も同様だ。ストックホルム共同通信の記事は次のように人材派遣会社事務所長、ヤッシ・ヤルビ氏の話を伝える。
派遣社員を入れるときには労組の承認が必要。この国では同じ仕事に二つの賃金を認めることはあり得ません。」
2005年11月、人口900万人のスウェーデンで183万人 (うち女性839.115人)を組織するスウェーデン最大のスウェーデン労働組合総連合LOの委員長ヴアニヤ・ルンドビー‐ヴェディン氏 が「グローバルな連帯」と題するスピーチを行った。スウェーデンが、「グローバリゼーション」とうまくやってこられたのは、明らかに、経済の再構築によって影響を被る個人に配慮する労働市場政策や普遍的な社会福祉システムがこの国にあるということと関わっている。高い組織率の労働組合が、労働者に発言権を与え、集団的協定を広く適用して、労働市場での良好な統制や流動性を保障しているからだと語った。 (表1)。
エスピン・アンデルセンが、福祉国家の類型として、北欧の社会民主主義ジーム、アングロサクソン自由主義ジーム、欧州大陸の保守主義ジームとして3つの福祉資本主義に分類されたことは広く知られている(エスピン・アンデルセン、2001)。アンデルセンが、社会民主主義ジームと名づけた福祉国家群が、グローバル化したポスト工業化社会において、適応力を持っているのである。この産業構造の変化とともに、労働力の女性化が起こったのであれば、女性労働をいかに活用するかが実は経済政策として問われていたのである。ポスト工業化を迎えた福祉国家の指針として「脱商品化」と、「脱家族化」とは、その経済政策の経済合理性の指針でもあったといえるのではないか。
男女平等を含めた平等へのあくなき追求力の「経済的メリット」とは何であろうか。
LOは、雇用保障こそが生産性だと言う。雇用保障は労働zp者にも使用者にとってもよく働けることを意味する。安定した仕事を経験すれば、率先して働き、自分の仕事に努力も払い関心も持つようになる。保障とは生産性のことだ。それこそが発展や成長や未来への信頼を生み出し、スウェーデンの福祉にとって利益になる。
使用者支配から独立した労働力を「脱商品化」するための労働者イニシアティブの雇用保障と、女性をその範疇に入れる「脱家族化」が、どのように社会経済政策といえるのだろうのか。

平等の推進力機能としての労働組合

日本とほぼ同時期の1860年代に近代産業革命を発生させ、40年ほどで電力・石油による第2次産業革命にバイパスし、急速に発達したスウェーデンでは、豊かな森林資源による火力または豊富な水資源による水力発電により、各地に産業が分散し、極端な都市化をまぬかれた旧中間階級を温存し、地域社会を温存できたという(高須,1972:127-130)。
工業化とともに、社会主義思想が生まれ、1889年スウェーデン社会民主労働党が結成され、また、1898年ブルーカラー労働者の全国組織LO(Landsorganisationen i Sverige スウェーデン労働組合連合)が結成された。1902年には使用者側の連合体、SAF(Svenska arbetsgivareförningen スウェーデン使用者連盟)が創設され、労働組合と使用者団体の組織が形成されたが、1920年代にすでに合理化によって労働生産性を40%上げたが、続いて起こる30年代の大恐慌により失業は20%を越えた。
ナポレオン戦争以来約190年間戦争をしていないスウェーデンは戦争によって経済の活況と、国内の階級対立をそらせた日本とはことなり、熱狂的なナショナリズムで、国民を統合することなく、国内問題労使関係の対立を政治が解決することを迫られていた。労働側も経営側も、それに対して中央集権的な交渉を積み重ねることで答を出そうとした。
中立を守った戦間期1920年代に、普通選挙権を獲得し、世界初の議会による短期社民党政権を経験し、その後1932年、長期社民党政権がはじまり、その後社民党単独政権は1976年まで続くことになる。
当時、産業間においての賃金の格差が大きく、低賃金層が組合離れを起こしていたし、SAFも、当時比較的低賃金であった輸出産業を基準にすべきと主張した。
低賃金労働者に対する措置を組合の協約の中に確保しようとする連帯賃金は、26年LO大会で金属労組からの低賃金底上げのために提案されたが、当時産業労働者の170%であった建設労働者の賃金が、LOの介入で130%に圧縮され、建設労働者の賃金の高騰が調整されたという形成期を経た(宮本、1999:59)。連帯賃金政策は、当初より高賃金の産業の賃金抑制策、低賃金産業の底上げとして機能したのだ。
当時スウェーデンでは失業保険の導入が遅れて、失業委員会の失業対策事業が通常の正規労働者の協約賃金より安く労働をしたため、労働者たちの労働条件を脅かしていた。社民党政権は農民同盟との「赤緑同盟」によって、失業委員会の解体と、労働組合基金に政府の補助を加えて労働組合自らが管理するゲント方式による失業保険制度(1934年)の先鞭を付けた(宮本,1999:57・戸原、1984)。スウェーデンが今に至るまで80%を越す労働組合の高組織率を維持しているのは、労働組合が政府の助成を受けて失業保険を運営しているゲント方式のためとも言われている。労働組合は、失業保険の労働組合による管理権を得、協約以下の水準の賃金で二重化(周辺化)することを防ぎ、労働協約の実際的効率を高め、高組織率の維持を獲得した。LOをパートナーに、社民党政権はケインズなきケインズ政策といわれ、大規模な公共事業を展開し完全雇用を達成した(メイドナー、1994:148訳注3))。
スウェーデンには、ナショナルセンターは他に二つ大卒者以外のホワイトカラーのTCO(約120万人)大卒者のホワイトカラーSACO(約50万人)があるが、それぞれ約7割の組合組織率である。日本の企業別と違い、管理職と現場職の組合が独立している。
スウェーデンモデルの中心をなすレーン・メイドナーモデル同一労働同一賃金の連帯的賃金政策、積極的労働市場政策が60年にかけて形成された。
 修正ケインズ主義とも呼びうるスウェーデンの政策は、有効需要を作り出すのではなく、積極的労働市場政策という、雇用の流動性を高めるための再訓練のみならず教育制度にまでかかわる政策である。生産性の低いセクターが高い賃金コストによって衰退しても、そこから排出された労働力を生産性の高いセクターに送り込む、こうして連帯賃金がなりたつので、技術革新と労働運動は親和性が高く、また、企業は寡占になりやすい。
企業規模にかかわらず同一労働同一賃金を原則とする連帯的賃金政策では中小企業の労働者は、低賃金を避けられるが、労働生産性以上の賃金を課せられた企業は存続の危機を迎える。企業があからさまに経営の競争によって「商品化」される一方、経営の悪化と労働条件がリンクせず、失業の恐怖も緩和され、企業に拘束されることがない労働者の労働力は「脱商品化」される。そのメリットは大きく、そのマネージメントの原資たる所得の半分の高負担の税金もさほど大きな抵抗にあわない。企業から自立した自由時間の獲得と生活保障は、政治活動を保障し、高い納税の再配分に対しての意見表明としての投票行動は、80%から90%以上の高投票率の自主投票の完全代表比例制の選挙によって、国民の政治選択は高い合意が図られている。普遍的福祉政策によって、無料の官民教育、医療サービスや子ども老人の世話などの提供が福祉国家として行われているが、それらを具体的に担うのは女性の労働者たちである。スウェーデンの公共セクターは、30%を占め、政府は最大の雇用主であり、その雇用は福祉国家の基盤ともなっている(Ohlsson,1997)。公共部門の女性雇用の拡大は、女性の平等な待遇による経済的自立とともにそのサービスの供給者でもある。女性の国民は雇用を得られ、政府にとって納税者を得られ、組合にとって労働組合員を得られ、社民党は、支持層を増やすことにもなる。完全雇用と政治システムと福祉国家づくりが女性を媒介にぴったりリンクしている。

女性の賃労働への統合と賃金格差是正プロセス

失業が再び増大し始めた1931年のLO大会の動議に、公共部門における既婚女性の雇用を禁止する立法の要求があった。理由は、女性は結婚によって経済的保障を獲得するので、彼女より働く「必要の大きい者」の職務を奪うのは反市民的な行為であるというのだ。執行部の勧告で動議は退けられたが、夫婦の同時雇用に反対し続ける組合や既婚女性を先行解雇する慣習を批判する女性代議員からの提起は無視した。当時、不況期の使用者の賃金切り下げのために、男性を解雇して、代わりにより低賃金の女性をその職務につけ、労働裁判所も、使用者側の解雇の自由を理由に違法ではないとした状況の中で、男女平等へのラジカルな要求として以外の男女同一賃金要求の立場があった。男女に同じ賃金を払わねばならないなら、使用者は男性を選ぶだろうと期待する「仕事をめぐる競争から男性を保護する政策の一部として」同一賃金を要求した保守的な男性の立場だった。当時は女性組合員は10%程度であった。
しかし、LOはしだいに女性労働者へ目を向けざるをえなくなった。すでに男性ブルーカラーの組織率が飽和状態の中、1944年に結成されるホワイトカラーの組合TCOが、1920年来の産業合理化によって新たな下級ホワイトカラー層もしくは各種サービス労働者が増えることで女性組合員獲得の競争がもたらされた。連帯賃金政策は、労働運動だけでなく不変的な社会保障やサービスなど社会政策と少子化対策が結びつき、経済学者のミュルダール夫妻の家族賃金批判、女性の妊娠子育てに配慮した社会政策へとつながり、女性を統合する方向に発展していった(北、1997)。
戦後、朝鮮戦争の好景気の影響を受け、賃金が高騰した1950年代、ストの代用労働者として女性労働者が登場するまで、男女差別は大きな問題にならなかった(Swensson,1995:63)。中立政策によって2度の大戦に巻き込まれなかったスウェーデンは50年代にすでに、合理化を成し遂げ、生産過程の単純化と規格化を進めたため、非熟練の労働力の需要が増大し、続いて賃金の圧縮が起こった。合理化で、賃金の高い男性よりも安い女性の労働力を意図的に代用される事は戦間期に証明済みであった。財界の合理化推進者は「女性の労働力は安いので、高い男性を減らし、単純作業をする大量の女性を雇うべき」と薦めた(Swensson,1995:66)が、39年に公務員の男女別立て賃金が廃止され、44年から各組合に、女性の賃上げを男性より高く設定するように勧告した(北、1997)LOは、男女の同一労働同一賃金で対抗した。
 1960年代はじめ、高度成長の労働力不足が、既婚女性を製造業に引き出した。しかし、60年後半から70年前半の間に、オイルショックと後発国の追い上げによって国際市場のシェアを失っていった輸出関連製造業セクターの雇用機会は厳しくなった。賃下げの代わりに政府は積極的労働市場政策によって、競争力のない工場や労働力をより活力のあるセクターに移動するため補助金を出した。男性が民間セクターで働き続ける一方、女性は製造業の熟練労働から、公共セクターで生み出されたサービスセクターへと移った。連帯賃金と小企業への累進課税が民間の雇用の伸びを妨害していた。
1960年に、女性グループはLOや社民党に圧力を加え完全雇用と平等に取り組ませた。LOや社民党は女性を賃労働に参加させるのにさまざまな方法をとった。福祉サービスの充実のためにパートタイム労働を活用し、女性を労働市場にひきつけた。70年代から80年代にかけて、地方自治体で女性の直接雇用を生み出した。
1960年代当時まで製造業で一般的だった女性賃金の別立て慣行による男女別の賃金が廃止された。賃金格差や低賃金やセクター間の賃金の格差が改善され、女性の実質賃金は男性より多く上がった。大量生産産業での雇用の伸びの縮小とサービスセクターの雇用の拡大による構造変化は、公共セクターのより平等な賃金の実現となった。
社会福祉サービスの拡大は、整理解雇のおかげで工業セクターの仕事がなくなった女性だけでなく、労働市場に入ろうとする女性にとっても雇用機会となった。男性は、雇用の制限していた民間セクターに雇用を得、女性たちは男性と仕事を直接競争しあわずに、また連帯賃金政策によって男性の置き換えの低賃金労働とならずに、労働市場をゆがめないで女性を統合した。女性の労働参加は1990年までに約83%までに達した。共働きモデルへの転換は、永続的な労働力の不足と、平等への要求で進められたのだ。(Mosesdottier, 2001: 171-178)
女性の組合員が増え(図2)、女性比率も60年代は22%だったが、2000年には46%になった。組合組織率も男性の組織率83%に対して女性の組織率87%である。現在、ブルーカラー公務員の女性の多い労働組合が、合理化の進む製造業を抜いて最大である。減っていく男性ブルーカラー労働者を女性の雇用を増やすことで労働組合は埋め合わせたともいえる。
70年代後半の毎年10%を超える、インフレの時代、労働組合は実質賃金が抑止政策され実際的に賃下げになった(図3)。それによって、男女格差が縮まったともいえる。
あるいは、輸出関連産業の人件費コストを抑える必要があるときに、公共セクターの女性の雇用によって、労働者家族の所得を増やしたともいえる。女性の公共セクターでの雇用の拡大と賃金の上昇により、男性のインフレの中目減りする世帯所得への税金からの「補助金的役割」を果たしたともいえる。
実際1970年では、国別製造業男子の一時間当たり収入は、アメリカ3.88ドル、スウェーデン2.68ドル、西ドイツ1.56ドル、イギリス1.52ドル、フランス0.83ドルと、スウェーデンの賃金は国際比較では高かった(高須、1972:138)のだが、2002年の統計では、スウェーデンの人件費コストは、各国の間で比較しても安くなっている(表2)。スウェーデンの賃金は安くても、妻の所得がはいると1.8倍になるので、必ずしも世帯の貧しさを示してはいない。
企業の雇用者の社会保障拠出金は大きいが、企業規模と連動するし、勤労者の税金負担に比べ、法人税は28%と国際的にも大変低いレベルなのである。
また、通貨(クローナ)を76年、77年と3%ずつ3回切り下げ、また82年にも16%の切り下げを行なっている。
実際昨年の自治体の賃上げ妥結では、工業部門の労働組合は、輸出産業の競争力を維持するとともに、公務部門の低賃金女性労働者に配慮して、賃上げの要求水準を抑制した。2004年は3年連続でとりわけ地方政府の公務部門の賃上げが民間部門の賃上げを上回り、地方政府職員の賃上げが4.4%であったのに対し、工業部門の賃上げは最低水準の3%であった。(労働政策研究・研修機構URL2005.5)
輸出主導型の男性の多い民間組合が、公共部門の現場女性労働者の底上げのために自分たちの賃上げを自粛する連帯行動は、女性職場の公共部門の妻と、私企業の夫というスウェーデンで典型のブルーカラー同士のカップルが、世帯賃金をあげるインセンティブを考えると納得できる。国際貿易の割合が40%と大きいスウェーデンにおいては(日本は10%)、民間部門の競争力は個別企業の問題というより国民的問題である。女性の雇用の拡大を、民間企業が負担する男性労働者の家族賃金のコストを、政府が肩代わりする国際競争力増進のための公共事業・補助金と考えれば国家的通商政策でもある。日本の公共事業の「男性」への直接雇用配分と対照して、「女性型」雇用を拡大する公共事業、男女平等志向賃金政策は、スウェーデン国家の蓄積、競争力の源泉でもある。
  世界一平等だといわれるスウェーデンの男女賃金だが、スウェーデンのセグリゲーション(性別職業分離)はかねてから問題になっている。特に公共セクターへの女性への集中が、特徴的である(表3)。
しかしこれは、意図した結果でもあるのだ。民間と公共部門の性別分離は、スウェーデンの大きな特徴であるが、マクロ的に見ると、民間の国際競争分野での男性労働者の雇用を守り、人件費コストを下げるため、公共部門での雇用と賃金拡大は、政府の補助金的な役割を負っているとも見える。

これからのスウェーデン−右派の左傾化の意図するもの

2006年9月17日の総選挙で、12年続いた社民党政権が僅差で破れ、政権交代になった。勝利した保守党(Moderaterna)を中心にこれまでの社会民主主義ブロックの三党連立から、中道右派ブロックの四党連立へ)。勝利した保守党は、41歳の若い党首がキャッチフレーズを多用し、これまでの路線を離脱し、“労働者にやさしい”保守党を強調し、都市部の社民支持層をひきつけた。保守党の左傾化によって、実は、社会民主主義の勝利なのだという論調も現れたが、警戒を要する。
前回91年から96年の間、右派中道政権では「新しいパブリックセクターマネージメント」という。80年代の新自由主義の登場によって右派から主張された民営化を含む公共セクターに市場原理を入れる手法が、利用者の選択の幅を広げるシステムとして歓迎され、公的な福祉・教育・医療の供給体が多様化された。が、民営化に雪崩打つことにはならなかった。強い労働組合によって官民の労働条件の格差はほとんどないので民営化によってコストは下がらない、むしろ競争のコストがかかるので、よい業者と長期契約するほうがいいということになり、民営のよい点がとりいれられ、公共セクターサービスは、瓦解することなくむしろ効率化が図られた。右派への政権交代で、悪化せず社民党政権では取りえない政策の幅が広げられるのも、スウェーデンモデルとしての労働組合機能が健全であることから来る効果だ。しかしそれは労働組合の社会の保障のシステムによるもので、最近、若者の労働組合離れが進み、組織率が落下気味の労働組合にとって今回の政権交代はそれほど楽観できない。
選挙前の5月に通過したフルタイム雇用を標準とし、パートタイム雇用を規制する法律は政権交代によって廃止される。審議中から右派中道ブロックの中央党は小企業の便宜のため26歳以下の若い人から、雇用保障をなくすというフランスのCPEと同様の提案をしており、失業率の削減を、不安定就労によってまかなう路線への転換が懸念される。また公約どおり失業保険給付水準は従前の所得の80パーセントから70パーセント、300日以上の長期失業者は65パーセントに引き下げられる。失業保険の保険料が約月4800円を引き上げられ、失業保険料や労働組合の組合費を今後は控除不可にするという公約を新政権は、早々に実行すると発表。組合費の税控除も除外される(労働政策研究・研修機構URL2006.11)。低賃金の労働者にとって、失業保険の保険料の100%自己負担や労働組合費は重い負担になる。全ての労働組合は反対。11月16日にはTCOが、12月14日にLOが大規模な反対デモを呼びかけている(TCOのURL、LOのURL11月13日)。
スウェーデン労働組合にとって、失業対策は大変重要なものである。労働市場と呼ぶのはまさに需給のバランスを取り、交渉によって価格決定をする場所であるからだろう。労働市場においては、労働組合がイニシアティブをとって労働者総体に有利な価格交渉を積み上げ、結果的には賃金抑制策として働くほどの、社会全体での効率化を優先した「全体最適」によって非常に効率的な国家の運営を可能にしたのだ。労働力の「脱商品化」のためには、失業者が社会保障をもらって失業できることは労働力の需給の調節のために実は重要なことであるのだ。
その組織率を支える失業保険への優遇措置を奪われ、失業者が半失業者なることを推進する政策によって、失業者が低賃金労働者となり、それによって起こる協約の実効性が発揮できなくなる事態は労組自治で行われてきた賃金決定システムに基づくスウェーデンモデルを揺るがすものになる。ヨーロッパで唱えられ始めているフレキシブル(柔軟)でセキュリティ(保障)のある働き方フレセキュリティflexecurityが、女性を「脱家庭化」させ、労働力を「脱商品化」する。
強力な労働組合社会によって周到に作られてきたスウェーデンモデルの基礎が突き崩され「平等という競争力」が瓦解し、ミースらの言う「第三世界」が押し寄せてくるきっかけになるのではないかとの懸念が杞憂であれば幸いだが、スウェーデンから目が離せない。

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【参考URL】
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