27歳の私を超えられずますます途方に暮れるの図

日本からお味噌と一緒に本が届き、日本語ばかり読んでいる。本当に何しにきているのだか(ムム)。

シューマッハはよいね、「スモール・イズ・ビューティフル」遅まきながら。1973年の本を読んでも、まだ新しいのは、何も時代が進んでないせいなのか・・・。上野千鶴子の80年代の本はもう古くなっているのに。

ところで日本から持ってきていた「マルクス」という本をちゃんと読んだ。これは花崎さんや森田桐郎、あと今レギュラシオンをやってるはず(?ちがうかな)の山田鋭夫氏などが書いているので、ほおと思って、図書館の本コピーしてきたのだが、面白かった。(1982年有斐閣

ようやくマルクス主義の全貌?の片鱗がわかった。私は昔からマルクスのことを知らないのにマルクス主義者だと思ってた。そういう系の結社?などにも別に深く関わったことはないのだが、文学部だった大学の城塚登(経哲草稿の訳者だとだいぶあとになって知った)さんの社会思想史の講義で、共感したのだ。
「労働とは本来自己表現である」、ていうのと「下部構造が上部構造を規定する」、て言う言葉だけでファンになっていた(単純)。

そのあと何一つマルクスの文献を読んだことがない。
大学院で「資本論」の授業をとって、初めて彼の著作を読んだが、第一章の「商品」で終わっちゃったから何もわからなかった。自分で読めよ、の世界だが、私はリブだから理論派じゃなくて感覚派だったんだ。
フェミで自分の人生を方ってほしくないと本を出した人と正反対で、私にとってフェミは、自分のしてきたことや体験が、全部フェミで解けるのを確認する快感だし、だから読むのだし、書くのは所詮全部フェミどおりだと言うためのものでさえある。
男の論理はいつも間違うから、女の直感の論理化を私は信じているのだ。リブは全共闘運動の男の論理の否定から生まれたものだしね。否定された方にそんなに関心はないのだ。
勉強(だけ)してる人はよく間違う、と思っている。
特にマルクス主義者を自称する人に大間違いが多いのはよく知っている。
ただ面倒だっただけなんだが。もともと勉強嫌いなんだわ。

ともかくそんなことで、将来怠け者の癖に働くこと(=労働者になること)への過剰な思い入れがあったな。
(だから「働く/働かないフェミニズム」なんだけど)
でももちろん闘うぞ、おー、みたいなのは全然関係なくて、それってたいして効果もない(効果あればやるべき)と思ってた。
(管制塔、とかの時代には、私は「ああいうことして子どもを使って金をもらおうとしている」と、TV報道の三里塚闘争を評する親の元にいたのだ。)
じわじわと自分の場所から変えていくこと、だとおもっていた。
自分の働く場所を自己表現にすることが闘うことだし、それでもそれをうまく資本の側に持ってかれがちな日本の文脈も知っていた。
がんばっても資本家に奉仕するのはやだから協同組合に就職した。
資本の論理の中では、結構無力なのもわかってたからかもしれない。
それでもその協同組合が疎外体になりがちなのも最初からわかっていた。
社会主義革命はどこも成功どころか、より過酷な政治体制としか成り立ってないのは、当時誰が見たって明らかだったから。
「きれいごと」が、より深い疎外を生むことなんかまったく自明だった。
何より、傍からみていても運動自身が抑圧的だったりすることもよく知っていたし、反体制の論理が、少数派を抑圧することもわかっていたし、その少数派への反省がかえって、過剰な自己否定のなかで歪んだ倒錯を生むことも見えていた。
それらはすべて明らかな「時代」だった。80年代初頭って言うのはね。
だからどこに行っても一緒だった。


とりあえず下部構造だぜい、そりゃ主婦の運動が楽しいのは知ってるけどさ、フェミを通ったらそこへはいけないもんな。回りまわって資本に間接的に従属した上での運動だってことが、「不幸なことに」見えてたし。
でも女たちのしなやかさは身近に感じていたかった。仕事してる女がそれを持ち続けるのは難しいのだ。
職場状況が過酷だから。
主婦は男のスタイルに染まらずに「女の文化財を保護する存在」でありえるのは事実だ(男スタイルに染まってる主婦もいっぱいいるのもわかってるけど)。

しかしもっと早く読めばよかった。だいたい私が思ってることと同じだったし、もっとはっきり書いてあった。
雇用者がマルクス主義者だったんだから、労働組合時代、これを武器に闘うべきだった。
もっと闘えたと思う。
住宅手当を要求して、賃金交渉したとき、手当てではなく基本給をあげるべきだし、君らは100円を積み上げるようなそういう交渉をして、情けなくないのか、と船木さんに言われたことは今も忘れない。
彼らは当然そういう労働運動を実際してきて、つくづく意味がないと思った人たちだったのだ。
地域社会を取り込む東急資本に対抗して、鉄道の労働運動をしても市民の支持は得られない、資本に包括されない市民社会を、陣地戦として作ろうとしたのが生活クラブ(神奈川)だったのだ。
優れた戦略だと思う。
それでもその中で労働運動や組合が絶対的に必要なのを私たちはきちんと提起しなければならなかった。
それが創設者として参加できなかった「遅れてきた青年」である私たちの「革命の季節」後に生まれたものの
課せられた闘争の課題だったのだ・・・。

こんな風にもいえるかも。生活クラブを(その後崩壊してしまう)社会主義国ではなく、スウェーデン型にしたかった、と。
このスウェーデンではマルクスの名前を聞くことはまずない。
誰もマルクスのことなど語らないが、マルクスのいったことは社会がクリアしてる、みたいな感じ(革命以外は)。
資本主義の中でいかにそれを可能にするかに挑戦して、やりのけてるので、不要になってマルクス主義は必然的に消滅してるという気がする。(ただし本源的蓄積については今後まだ見る必要あり。)

山田さんいわく

剰余労働時間の深層に形成される自由時間を諸個人が自らのものとすることは、「より高度な生産形態」にとって必須の課題であろう、と。

「労働日の短縮は根本的条件である。」(資本論より)

・・自由時間は労働時間に反作用して、労働(必然)の領域における人間と自然との社会的物質代謝を合理的にコントロールする能力を培う場となる。

自由時間を取り戻したとしても、その自由時間をふたたび疎外させることなく真にその時間の主人公となりうるためには、・・・労働における自治・自由としての個体的所有の再建もまた、根本的条件なのである。労働からの自由は労働における自由の基礎の上にのみ、逆に労働における自由は労働からの自由に保証されてのみ、真実のものとなる。「労働日の短縮」と「個体的所有の再建」を同時にわがものとすること、−−これが蓄積の歴史的傾向の論理をとおして、『資本論』が人類の「前史の最後の段階」からその「本史」へとかける架け橋である。


この82年の山田さんの言説を持ち出して、団交に望むべきだったか・・・もしれない。

それでも私はなんて的確だったんだろう。同じことを言っていたとやっぱり思う。同じ空気を吸っていたから。

1988年私が27歳のときの労働組合設立のためのチラシの草稿。
気恥ずかしい表現だが、ほぼこのまま組合結成チラシになった。
こんな言葉では何も動かなかったのだけれども・・。

***************

働く人にとって生活クラブってなんだろうって考えたら労働組合ができた

いまどき労働組合なんて、ですって?!とんでもない。
 だって今ほど働くことが問われている時ってないと思います。敗戦からしゃにむに働いてきた日本人。男は24時間体制で馬車馬のようなモーレツ社員、女は銃後のように家庭を一手に引き受け内職、パートで内助の功。そんな役割分業の中で西独に比べて2ヶ月も余分に働いて豊かになったと言われる日本。誰がいったい豊かになったのか、私たちには何の実感もありません。家庭の中では父の居場所はなく、くれない族の妻の子への過干渉は子どもたちを歪め、働きつくした夫は定年で会社に捨てられ、家では粗大ごみと成り果てる。こうしてたくさんの代償を払った末に、実感のない豊かさの中、貿易摩擦に働き中毒への非難。いったい何をしてきたのか。そんなのおかしい、と生活クラブに入ってきた。私たちも気がつけば同じ働き方をしてしまっている。お国のために、をやめて、会社のために。会社のために、をやめて、生活クラブのために。この辺で滅私奉公をやめたい。だって私は生活者でありたいし、人間らしく生きたいのだもの。そして人間らしく働きたい。
  だって私だって消費材(注:生活クラブで扱う食品)を使いたい―でも忙しすぎる。   私だって結婚しても働きたい。
  私だって恋人と映画を見に行きたい
  私だって生きていると言う実感のある仕事をしたい。
 それはモノとり主義とはちょっと違う。カネよこせ、さぼらせろ、そんな了見とはちょっと違う。 私の1日24時間、1/3の8時間は労働だけどあとの時間は私のもの。自由に心豊かに過ごせる余裕が欲しい。そしてその8時間の労働も充実した仕事をしたい。 これはぜいたくでもなんでもない、人間の本当の望むところだと思うのです。ひとりひとりがそんなふうに生きられるようにするために、生活クラブもあるのだと思っているのですが・・・。 「何か」のために自分を犠牲にしてしまうことはもうしたくない、それはきっとその「何か」にとってもよくないことに違いない。  だから今、労働組合
 でもこれは私たち一人一人が作っていくことで与えられるものではない。ものわかりのいい経営者を期待するのは、自分で作っていくことの怠慢だと思います。
 経営する人に働く者のことを、働くもの自身が黙っていて、考えろと言うのは虫が良すぎる。考えてくれないからとあきらめてだまって従うと言うのでは、主体性がなさすぎる。働く人が人間らしく生きられる現実をつくっていくことこそが運動の内実をつくっていくことをわかってもらえるようねばりづよく主張できる場が私たちには必要なんです。働く人にとっての生活クラブを作るために。
                         だから今、労働組合
 でも私たちは労働は、少ないほどよい、お金がたくさんもらえればよい、とは考えていません(考えていたら生活クラブなんて就職しませんものね)。
 何のために自分が働くのか、自分の能力を発揮するにはどうしたらよいか、自分を成長させる働き方をしたい。自分の労働が少しでも世の中をよくできたら。自分で手ごたえを感じたい。つらくてもたのしく仕事をしたい。自分のしていることをよく理解したい。納得できる働き方をしたい。 私達は労働を単に賃金を得るための苦役とは考えていません。労働以外の場での自己保存、自己実現、自立のために現在の世の中で十分な賃金は必要ではあるけれど、労働自身が自己実現となるためのパフォーマンスとなりうる労働を追及することが働くことの本質であると思います。 それはさまざまな選択肢を作って時期ごとに選ぶ、M字型雇用を踏襲するものではなく、人との差別化を図り、この努力へ歪曲する能力開発でもない、また分業化による合理化でもない(たとえそれが時間短縮のエサ付でも)本当の「もう一つの働き方」を模索することです。 それはどうやって? これから一緒に考え創っていきましょう。      だから今、労働組合。 
 おかしいと思うことが自由に言え、それを変えていく可能性のある場、私達はそれが欲しかった。人目を避け、酒の席で愚痴のようにこぼしていたことをこれからは実現していくために行動していける場がある。 不満を閉じ込めないで、変革のステップにしていける。 だから今、労働組合。 できたてのほやほや。だからあなたの色も加えていける。一緒につくりましょう。いざ結成大会へ!  1988年10月2日


 以下作った後のモノローグみたいなもの・・・。これ誰かと共有できてたらな・・・。今頃昔話でもなかった。結社に加わらなかった私は、オルグのノウハウを知らず、いつも一人だったのだ・・。

****************

なぜ労組を作りたいか?
今よりもっと人間らしく働きたい。今よりもっと自己表現できる場所がほしい。そのためなら多少のことは覚悟するけどこれが果たして手に入るのかが大きな疑問 今より悪くなるなら ない方がいい
           つくらない方がいい
そんな労組のために、今ある状態をこわしたくない
 今だって   少しずつよくしていける  と思う
 →少なくとも私は理事会を敵にするムキだしの力関係
   好ましく思わない
   日常的な中で困難が生まれる
 管理・しめつけが厳しくなるたとえ今より悪くなるとしても、労組の中身を変えていけばと思って
   T女史にも相談した  → いまいち 失敗
   ほかの人にも呼びかけようと思う         →私の今の状況では非常に困難           よびかける人もなし
 労組vs理事会の厳しい状況の中で労組の中に対立派vs和解派をもちこみ(もちろん力関係でなく、だけど)勝つことは、ムツカシイ。
 キクチくん、対立派ではないか―(でなければいいんだけれど)
 ①なぜ労組か 理事会はテキ。生活クラブを混乱させて矛盾を暴露すべき。労働者を雇用者は和解できない。労働者のヘゲモニーをとり闘うべきである。
 ②労組のやるべきこと システムとして取り込まれる、牛乳の再編による分業化や職能制度に反対していくこと、サービス残業などに見られる搾取をやめさせることが最優先
 ③現社会状況の中での労組のあり方 戦後負けてきた労働組合労使協調能力主義の導入などを克服して新しい労働運動の質を獲得し、労働運動の翼賛化を阻止したい。

和解派(というより私の考え方)
①労働者の無権利状態、不合理のまかり通る現状、疎外労働の存在などは、生活クラブの運動がオルタナティブとなるためには克服しなければならない課題なのに、放置され、あるいは依拠している現状は、生活クラブの運動自身を脆弱にしている。真に生活クラブがオルタナティブな運動として今後発展していくには、労働者の自立、労働者の視点からの経営・運営チェックは必要不可欠である。このことが理解されるなら、理事会とともにつくっていく(もちろん労働者側の一方的譲歩は許さない)ことも可能。むしろそうあるべき。新しい労働運動のあり方として労使協調はもちろん、階級対立(現体制の構造としての実在は認めつつ)をも弁証法的(?)に昇華させて新しい労働運動のあり方、労使のあり方をつくりたい。
労働組合の目的は働く者一人一人の自立である。そのための労働者の利益に反するさまざまな合理化、分業化の動きに反対することは自立した労働者として当然カクトクせねばならばならないこと。 しかし、その上に労働組合が労働者一人一人が参加できる“場”であること。思ったことはいえ、よりよい方向にかえていけるんだという場づくりがとても重要。困ったことにも親身に対応できるような幅広いイメージが持てるような労組を。観念、感覚でなく、一人一人の生活、人間から出発できるような場でありたい。
③新しい労働観を創り、単なる経済優先主義の労働運動でない質を。
 他の社会運動と連動しながらそれを自分の労働の中でつくっていく。
 ファシズムに流されない労働者、長いものに巻かれない労働者である自分をつくることで 現在の状況に抗う。もちろん他の労働・市民運動と連帯して大状況に対しては対抗してい く。

 なぜ和解派か。(勝手に名づけさせてもらう)
 ①対立派の「なぜ労組か」では、非常に孤立しやすい。対立して力関係で押すにはあまりにも力量がない。かなり組合員がシビアなところに置かれる。それにみんなの支持を得ない。展望がないと思う。うまくいって、生活クラブを倒しても(?)だからどうなるのか。相手が国や東電や商社ならまだしも、生活クラブ相手に対立しても、マイナスの方が多い。そういう関係をつくりたかったら、ほかの企業に就職して労組やってるよ、と思う。
 ②今あるひどい状況を力関係で変えさせることはもちろんいいのだけれど、それだけだとあまりにオールドファッションだし、イデオロギー論争になってしまって実がない。具体的カクトク物がない。それについていけない職員は疎外感を持つ。身近なところから、具体的なところから、本質論を透視しつつ、展開していくことが大切だと思う。一人一人が現状を変えていけるという自信を労働者が持てるようにすることは非常に重要。労組が組合員を疎外しないこと、自己表現を促すことが日常的にないと、第2評議会になる。
 ③労働運動の翼賛化に反対するのは大切。今ほど労働組合が無力である時代はない。でも反対する勢力の一翼をになうのはもちろんいいけど、それだけでなく自らの生活=労働のなかで、アンチを作り上げていくことで、戦争反対などのスローガンを自分のものとしたい。でないとムツカシイ。
 はっきりいって対立派の発想でできる労組だったらつくらない方がいい。
 労働組合ができても(できたから)
   仕事がやりにくい
   さまざまな場所で管理がキビしくなる
   生活クラブ組合員との関係が悪くなる
   一人一人の不満を取り上げる場がいぜんとしてない。
 となって、歴史的にも軍事クーデター的にしか位置づけられないとすると、労組があれば、と思っていた人たち、何とか長く続けたいと思っている人たちが迷惑するから。「労組暴力事件」をまたくりかえすことは生活クラブにとっても全くよくない。
 私もさまざまに具体的に予想される困難、代償に耐える自信がない。
 労組ができてひとつもいいことがない
       なら つくらない方がいい。


  ************

 乳飲み子を抱えて就職1年目の私はなんと一途で正しかったことか・・・。気恥ずかしいけど。
これ以上の正しいあり方があっただろうか。と今も思っちゃう。ますます思っちゃう。何度も確認しちゃう。正しいだけじゃダメなのは当たり前のことだけど。

 負け戦だった。実際思ったとおり。それでもまるで帰りの燃料を積みこまない自爆テロ、以外のどういう方法が取れたのか、15年たっても、私にはわからないから、そこからどこへも進めない。

 このあと15年かかって、結局すべてに負けてとほうにくれたままの私がここにいる。
 私は27歳の私がその時代にはじき出した生き方ほど、今のこの時代にあるべき生き方は出せない。
 小さな闘いすら勝つための方法も技術もまったく備わっていないので、どうやって世界に向かったらいいのか全然わからない。


やっぱり途方にくれたままたたずんでるほかないのだ・・・。