1月29日

ポリーニの清冽なショパンを聞いているうちに、心が晴れやかな気分になってきて、この3年間の絶望から抜けられそうな展望が見えてきて、大変うれしい。20年やってきたことの頂点から突き落とされたなら立ち直るのに3年くらいかかってもしょうがない。このいい塩梅の頃合いにポリーニに会えてよかった。

発想を転換すれば私は絶望していないということになるのである。とりあえず、しっかり博士論文を書こうという気に本気でなれそうな気がする。

つまりはこの社会をなんとかしようなどと大それたことを考えず、しかしそのことがそれを求めてこれまで来た自分の人生を否定することでもなく、自分のできることに向かって、たんたんと精一杯生きようと思えば、眠ることでしか逃れらない生きることの痛みから解放される。それは切ってしまった部位を痛がっていたようなものだった。

こんな簡単なことに3年もかかった。大学院に行ってもスウェーデンに留学しても、何をしてもわからなかった。

切ってしまった臓器が私にはあまりに大切だったから。
それ無しに自分がないように思っていた。心臓を抉り取られた気がしていた。でも考えたら盲腸を切り取っただけだ。私は私で何も変わらない。これまで闘ってきたことも、積み上げてきたこともそれで否定されることではなかった。

女子大時代の友達に自分の絶望物語の一部を2時間半くらい聞かせた。彼女は私のがんばり方に驚き不運に同情し、何とか私を励まそうと試みたが最後にはさじを投げた。もともと病気のせいにして仕事もせず、家事は私が見ても尊敬できる彼女の夫に何から何までさせ、彼の家柄が悪い、頭が悪い、子供がかわいそうなどととんでもない事を言いながら反体制派ぶってるお姫様の彼女に私を励ませるわけがない(て私も似たようなものかなあ)。でも改めて彼女を驚かせたその絶望の強固さに我ながら驚いた。私はこの3年間自分の20年を振り返る作業を毎日して、今いる絶望状態を必然として確認してきた。誰にも壊せないくらいのできあがった物語になっているのも当然だ。しかも20年分と長いのでめったに全貌を聞くことは出来ない。

その一部を聞いてもらえて、でも私を励まして友達振りを発揮したがってる友人を結局がっかりさせるほど「絶望のプロ」になっている自分を客観的に見たら、なんだか少し可笑しくなった。なんだか架空の物語なのかもしれないって人事のように考えてみたら、自分のこだわっていたことが何か、それに私にとってこれまで大きな意味があったけど実は今はもう意味がないことがわかった。もう捨ててしまってもいいこだわりだった。

彼女は私をぜんぜん励ませなくて、あきれて電話を切った。でも人をあきれさせてわかったりすることもあるんだな。彼女に何も期待してなかったから、聞かれるままに話していただけだったから、かえってよかったのだろう。邪悪な友人だが、感謝しよう。

苦しかった。でも時間薬が必要だったのだと思う。しっかり勉強しよう。

私自身の病気が治れば、つまり生きる気力さえ出来れば、何だって何とかなることだ。この3年は私にとっては本当に無為だったが、私の気持ちを知らない人は羨望さえしてくれるのだったから。

オセロの隅さえ取れればこれまでの全部をひっくり返すことは出来る。
ようやくその端緒につけた。
出来るかどうかは、誰にもわからないけど、私が苦しかったのは、社会に出たくないということなので、とにかく失敗者になっても社会復帰は出来るはずだ。失業者ではなく求職者になれる(実態は同じでも)。

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日本の社会に順応していれば、私はたぶんほどほどの成功者かも。

自分で言うのもなんだが、横浜にボルボの入った地下車庫2つつき一戸建ては、子育てしながら正規職を続けた私の甲斐性だと思っている。子どもは二人とも出来すぎずひねくれず、ほどほど良い子だ。単なる幸運だけど。いずれも望んで手に入ったものではないけれど。

この社会で必要なのは順応する努力だけ。

高校出でも男性ならたくさん働けば十分もらえる日本のかつての労働慣行の中で、私が無理して働かず、専業主婦をやってやりくりして、子供と夫のためだけに生きていれば、家計管理能力のない男のかわりにせっせと節約貯金すれば。

あるいは450万の正規職を、終身雇用の慣行のうちただ安寧にうまく要領よく続けることだけを考えれば。

絶望することも、入「院」することもなかった。でもそんな人生だったらそれは「私」じゃない。それはどう考えてもそう。

子供の父親の収入は1000万円を超えている。だから苦しくても学費に困るわけがないのだ。

住宅ローン4000万とサラ金から用途不明金400万。

40になったとき離婚をお願いしてから、彼はどっかくるってしまったと思う。私は最初から結婚したくなかった(結婚制度に反対)から当然だと思っていたのにちょっと意外だった。

家を売った1000万以上のお金も、利子が高くなる頃に、一括返済しようと口座に置いておいたのに(浅知恵)彼に渡したらいつの間にか消えてしまった。一生懸命働いては借金を増やす毎日を送っているようで、家には帰ってこない。広い邸宅に息子と二人暮らしだ。借金に追われて彼は生活に必要なことに出費が回らない異常な状態。学費の納入が遅れて、私はやきもきし、絶望的な気分になる。

国民金融公庫の1.82%の教育ローンは今のままでは父親の収入が高すぎて受けられず、私は奨学金生活者で無収入でローンの審査が通らない。

スウェーデンにいるときの私の口座から100万近く黙って引き出していて、私に払うお金がない(あとは娘の学資保険の前借だけ)。

絵に書いたようなサラ金地獄をなんとかした方がいいと親身にアドバイスするも聞く耳なし。勝手に転落すればいい、と思ったが、法定外の高利を払って子どもの学費も払わないんじゃ、放置も出来ないかもしれない。

それにしても、無制限に簡単に誰にでも貸すサラ金システムは、「想定外」だった。もちろんそんなことで身を持ち崩すような人格も、「想定外」だが。

GDPは膨れ上がっても借金大国、の日本の国の状況を見るよ
う。

家計能力のない男にたくさん賃金をやるシステムはやめよう。ざるになるだけである。借金男に1000万もやる社会はおかしい。その男の金を当てにしなければ、こどもが学校へも行けないような社会は変だ。私は夫の賃金を引き下げて、自分と同じくらいにしたくて、家事を押し付けて仕事の邪魔をし、労働運動したけど、格差は縮まらなかった。2人で900万なら十分だと思う。

みんなに等分に能力に応じて、少なくてもいいから配分するシステムにしなければならない。1000万の人も、100万の人もいない世界がいい。誰でもしっかりほどほどに働けば300万くらいは稼げる社会でいい。

誰も冷え冷えの邸宅に住みたくない。空っぽの家庭の入れ物。彼が私と同じくらい貧しかったら、こんなものは買わなかったのに。