「近代」化は「原蓄」過程である

夜になって雨もやんで大学に出かける。夜はさすがにさわやかだなあ、と思って自転車をこいだけど、帰りはなんだかものすごく蒸し暑い。アスファルトのせいかな。これじゃ石焼ビビンバだな。アメリカ人の英語の先生がカリフォルニアでも暑いけど、歩道は木が植えられていてこんなにすごしにくくない、といってたのを思い出して、日本ってやっぱり「発展途上国型」なんだなあ相変わらずと思った。
中国もすごい勢いで真似してるということだけど、昨日の深夜のリサイクルごみのNHK番組をみたら、時間は単線的には進まないと思った。日本からスクラップの山を3000万円で買って、中国で見事に金属を全部仕分けて、宝の山に変える。3000万のスクラップは3300万になるそうだ。300万円じゃ大して儲からないと日本の感覚だと思うけど、夫婦2人で1日1000円と言う農村からの出稼ぎの人が20人、60日ですっかりきれいにして(なんとスクラップの大きな分別が終わり、さらにくずを分別する段階では都市の?子どもも働いていた)、ほとんどごみを出さないのだと言う。人件費はたった60万円なら、運賃やら考えても確かに儲かる。倉庫いっぱいのスクラップはあながち都市の鉱山。日本の戦後のように煙もくもくの傾斜型生産をしなくても、過剰消費社会からごみを買えば13億もいる人の手間で、「重工業」が成立しちゃうんだ。アルミ(だったと思った)を1キロを新しく作ると、2.4キロと石炭がいるが、リサイクルなら1.1キロの廃アルミから1キロできるそうだ。しかも日本の廃棄の問題も解決。すばらしい。
ペットボトルのリサイクルをようやく日本で始めた志ある起業家が、中国からの追い上げに苦戦している話もあった。補助金をもらってようやく採算が取れる廃ペットボトルをトン20円(だったかな)で買っていくそうだ。中国に運んでも、ものすごく原始的なリサイクルの機械だから、包装用の紐くらいしかできないが、むこうでは飛ぶように売れるらしい。日本では立派な繊維になって洋服になるが、あまり買われない。パソコンの基盤も中国の人件費で仕分ければ、結構な金鉱になるらしい(貴金属がかなり使われているので文字通り宝の山。ただ有害物質も使われていてそれが問題)。
 かつて日本もくずやさんがいて、くず鉄から生計を立てていた。そういう仕組みが崩れたのは人件費が高くなったからであろう。「人件費」が高くなるのは、戦後の経済成長の完全雇用の仕組みのせいだろう。松岡正信さんが、世の中で人件費が一番安い、タダだ、とNHK教育「こころの時代」で言っていて、びっくりしたのをずっと覚えているんだが、もともとモノはお金がかかるが自分の手間はお金がかからないのだ。だから手間隙かけて少ない資源を生かそうと人間は工夫を凝らしてきたのが大部分の歴史だろう。この「人件費」を高くしていく仕組み(労働力の商品化)こそ、「近代」であり「資本主義社会」なのだなあ。出稼ぎの夫婦は、幼子を父母に預けてこのいい稼ぎのスクラップ仕分けの仕事をする。子どもたちに教育をするためらしい。「よいとまけの歌」だな。いつかこの仕組みも日本と同じく成り立たなくなるかもしれないが、数年はできるだろう。いろいろ考えさせられる興味深い番組だった。
 賃労働、というものを相対化する、ていうのが私のテーマ。原始的蓄積過程、囲い込み、農村から人が引き剥がされる、自給自足の貨幣のない社会から、貨幣社会へと流動していく。中国では1億人が農村から移動している。彼らは土地なしで生きていくために雇用労働者になる。同時に女性も「囲い込み」される。農作業と子産みは両立する仕事だったのに(そもそもlabourは陣痛と言う意味だった)、雇用労働では疎外される。雇用労働は男性名詞「チン労働」。全員が正規雇用労働者には絶対ならずに(なりえない)、「主婦化」する。この過程はワークシェアリング(かつて価値分割と言われた)と逆方向。だから日本で進まないのも当たり前か。日本の戦後は仕事の分かち合い(全部雇用)から仕事の独占(完全雇用)への転換だったのではないかと思う。一家総出の家業モデルから父だけ賃労働の大黒柱モデル。その過程での主婦モデル、でも高度成長以外で成立しない働き方。
大学でコピーしながらいろいろ考えが浮かんでくる。年間3000枚あてがわれたコピーの権利を8月初旬に全部使い切ろうと、図書館の本をがんがんコピーする。持っていって向こうで読もうと思う。外国語に囲まれた環境だと、日本語の吸収度がすごく高くなるんじゃないだろうか。日本語ならチラシの字まで読みたくなる、みたいに。
いろいろ考えてると、コピーの手がおろそかになって間違えちゃう。だから私単純作業が苦手なんだな。