自給自足

 暑い日だった。

 夢の自給自足王国という番組、以前の類似番組よりずっと充実した中身になっているのは、農業を始めた人たちの実践が充実してきてるせいなのか。
 むかしから小さいころから憧れているけど、めんどくさがりだし、不器用だし、料理も下手だし、無理だろうなあという気がするけど、でもやる気になればできるかもなあ。広い農家で、雨の音を聞き、土の匂いを嗅ぐ暮らしは素敵。
 好きな人と、そんなことをして暮らせていけば、何もなくてもちょっと困っても幸せかもしれないなあと思う。

 飢餓という根源的な危機管理のために、農業は手放してはいけないだろう。昔は、半農雇用は低賃金の温床のように思われてたかもしれないが、これからは、生活のポートフォーリオの必須科目として、ライフスタイルに組み込んでおく必要がある。前の戦争のときみたいに、戦争になったらいくら金があっても食料を手に入れられなくなる。地球温暖化で世界の農業がめちゃくちゃになる可能性もある。現金収入25万なんてすごく立派な人もあった。都会でもなかなか難しいレベル。これからは特に。食うために働く、という文字通りの労働こそが必要だ。
 いまや戦前になりつつあるとは。日本人って本当に馬鹿な民族だと後世の人は言うだろう。憲法9条はアメリカに押し付けられたんじゃない。第2次世界大戦が終わったときの世界が到達した「もう戦争は嫌だ」という想いを体現するチャンスを世界からもらったのだ。たった60年で、使い捨てていくなんて、しかも自国の物質的な豊かさのためだけに使って、そのときの願い空しくそのあとすぐ戦争まみれになった世界に何も貢献しなかったなんて、恥かきもはなはだしい。まったくふさわしくない人選だったということだ。
 よくとても重度の障害児を授かった人が、試練に耐えられると神から自分は選ばれたのだ、という発言を聞く。本当にそうとしか思えないほど、愛に満ちた美しく闘う強い人が多かったりする。
 日本は、せっかくの授かり物を殺してしまおうとしているのだ。神の人選が間違った、というしかない。世界で最も美しい子どもを授かったというのに。
あのときの犠牲者に対して、世界に対して恥ずかしくて身の置き所がない。

 選挙がどういう風になったら、そういう恥ずかしさと情けなさを体験しないで済むんだろうか。